第二次世界大戦10

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『詳説日本史』    編著者:笹山晴生、佐藤信、五味文彦、高埜利彦 『詳説日本史』    編著者:笹山晴生、佐藤信、五味文彦、高埜利彦

2016年7月30日 (土) 22:36の版

目次

第二次世界大戦

概要

1939年9月1日ドイツがポーランド侵攻を開始すると9月3日にフランス・イギリスがドイツに宣戦布告し、これが第二次世界大戦の始まりとなった。当初日本は不介入の方針をとっていたが、のちに太平洋戦争を引き起こすなど、この戦争に深入りしていくことになる。太平洋戦争を経て、戦争は終結に向かっていく。ドイツ降伏後1945年の8月6日の広島、同月9日の長崎への原子爆弾投下を経験し唯一の被爆国となった日本は昭和天皇の「英断」によりポツダム宣言を受諾し、約6年にわたる戦争は幕を閉じた。

開戦までの経緯

第一次世界大戦終結後から維持してきたヴェルサイユ・ワシントン体制と呼ばれる秩序の維持には、世界経済が好調で規模も拡大していること、平和維持の価値が広く認められていることが必要であった。しかし、1929年の世界恐慌を皮切りに、大戦後の世界秩序の崩壊の兆しがみえ始めた。そんな中、ドイツは全体主義体制(ナチズム)を樹立し、ヴェルサイユ体制の打破を唱え、1933年に国際連盟から脱退し、禁止されていた再武装に踏み切った。1938年には、オーストリアを併合してさらにチェコスロヴァキアにも侵略の手を伸ばした。ドイツとソ連は利害の一致から、独ソ不可侵条約を結び、これより世界はポーランド侵攻や第一次世界大戦へと向かっていく。

第二次世界大戦中の日本

当初不介入の立場をとっていた日本だったが、日中戦争への軍需産業用の資材を求めるが、日本とその植民地で形成されていた「円ブロック」では到底足りず、欧米からの輸入に頼っている状況だった。第二次世界大戦の勃発により、日本はイギリスの対アジア政策の軟化を受け、「大東亜新秩序」の形成に乗り出すと、これに反発したアメリカとの対立が深まった。日本陸軍内では当時ヨーロッパ内で優勢であったドイツとの関係を強化したうえで「大東亜共栄圏」の建設をうたい欧米の植民地である南方への進出を主張する声が高まった。アメリカとの戦争回避への交渉と進める日本国内でも交渉の妥結を強く希望する近衛首相と交渉打ち切り・開戦をする主張する東条陸軍大臣が対立していたが、ついに陸軍が英領マレー半島、海軍がハワイ真珠湾に奇襲攻撃を仕掛け、アメリカ・イギリスに宣戦布告し太平洋戦争が開戦した。

第二次世界大戦の終焉

1941年に日本がアメリカ・イギリスに宣戦布告したのと同時にドイツ・イタリアも宣戦布告するが、ドイツがソ連に攻め込んだスターリングラード攻防戦が始まる。ドイツがソ連に敗北すると、勢いを失ったドイツに対して連合国軍の反撃が始まる。1943年にイタリアを無条件降伏させると、翌年にパリを解放させた。そのままの勢いで1945年5月にソ連がベルリンを占領すると、ドイツも無条件降伏させた。残った日本も1942年のミッドウェー海戦を機に失速し、サイパン島の陥落を機に絶対国防圏は崩れ、本土空襲も激しくなった。1945年の東京大空襲や沖縄本土決戦では、未曾有の被害を生み出してしまった。原爆投下後の1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を連合国側に通告し、同月15日正午に昭和天皇が自らラジオ放送を通じて全国民に戦争の終結を発表した。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府および軍代表が降伏文書に署名して4年にわたる太平洋戦争は終了した。


参考文献

『詳説日本史』    編著者:笹山晴生、佐藤信、五味文彦、高埜利彦

『新詳日本史 地図 資料 年表』        編著者:浜島書店編集部

『グローバルワイド最新世界史図表新版初訂』 編著者:第一学習社編集部


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