キング牧師

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2008年7月17日 (木) 17:31の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
2008年7月17日 (木) 17:32の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

次の差分へ →
79 行 79 行
-== 〔キング牧師の演説〕(2) == +== 〔キング牧師の演説(2)〕 == 
   
126 行 126 行
-== 〔キング牧師の暗殺〕(3) == +== 〔キング牧師の暗殺(3)〕 == 

2008年7月17日 (木) 17:32の版

〔プロフィール〕

・マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther king Jr)

・1929年1月15日生まれ

・公民権運動の指導者で1964年にノーベル平和賞を受賞  


〔関連年表〕

1776 独立宣言

1861-65 南北戦争

1863 奴隷解放宣言(←共和党リンカン大統領)

1868 憲法修正第14条(黒人の市民権承認)

1870 憲法修正第15条(黒人の選挙権承認)

1950年代 公民権運動高まる(1955年 バス・ボイコット運動)

1963.8 ワシントン大行進(キング牧師の演説「I have a dream」)

1963.11 民主党ケネディ大統領暗殺→民主党ジョンソン大統領(1963-69)

1964 キング牧師にノーベル平和賞

1964 公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)

1965 投票権法(黒人の投票権剥奪を禁止)

1964-68 「長い暑い夏」(黒人暴動頻発、1966年ブラック・パワー)

1965-73 ヴェトナム戦争→ヴェトナム反戦運動

1968 キング牧師暗殺

1969 共和党ニクソン大統領(-1974)


〔公民権運動〕

・公民権運動とは?     

アメリカ合衆国で黒人が白人との差別に抗議し、あらゆる分野において白人と同等の権利を求めた運動。

・公民権運動が行われた原因   

南北戦争後の憲法改正14・15条において黒人の権利が認められたかのようだったが、実際のところ、祖父条項(南北戦争終了時に祖父 が選挙権を持っていた者にのみ選挙権を与える)、選挙登録の有料化・識字テスト、ジム・クロウ(人種隔離)制度などにより、黒人の 公民権・選挙権ともに大きく制限されていた。 (1)    

・公民憲法(1964制定)の201章(抜粋)   

「すべての人は、・・・・公共の場で供される商品・サービス・施設・特権・利益・設備を、人種・皮膚の色・宗教あるいは出身国を理由 とする差別や分離をなされることなく、完全かつ平等に享受する権利を持たな ければならない」(1)     

→これにより食堂やバスにおいて白人と黒人で分けられることは違憲となった。


・公民権と大統領      

公民権に関わりを持つ大統領はケネディとジョンソンである。ケネディは公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法(ジム・クロウ法)を禁止する法案を次々に成立させた。ケネディが1963年11月に暗殺されると、ケネディを継いだ、同じく公民権運動に同情的で公民権法の制定に積極的であったジョンソンが1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。  また、その後ジョンソンは積極的に黒人の社会的、経済的地位を向上させるために、役所や企業、大学に黒人を優先的に(若しくは白人と同数)採用することを義務付けるアファーマティブ・アクション政策が取 られた。一方、黒人運動はキング牧師の暗殺(1968年)によって平和的・合法的な反差別運動から過激な運動へと変化していく。キング牧師の暗殺直後、全米125の都市でいっせいに暴動が発生し、ストークリー・ カーマイケル率いる急進派の学生非暴力調整委員会(SNCC)や、共産主義の影響を受け、都市部のゲットーにおける 自衛闘争の開始を主張したブラックパンサー党、黒人による独立国の樹立を目指した新アフリカ共 和国(Republic of New Africa) といった過激派の政党が現れ、闘争を継続したが、1970年代中頃になって運動は沈静化した。(1)  

公民権法の制定から40年以上が経ったが、いまだにアメリカ国内において、アフリカ系アメリカ人をはじめとする少数民族に対する人種 差別はなくなっていないものの、公民権法の施行による法的側面からの人種 差別撤廃の動きを前進させた意味は大きいといえる。


== 〔キング牧師の演説(2)〕 ==   

(英文)      

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed. "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal." 

I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice. 

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by their character.I have a dream today.I have a dream that one day down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of interposition and nullification; that one day right down in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.
I have a dream today.I have a dream that one day every valley shall be engulfed, every hill shall be exalted and every mountain shall be made low, the rough places will be made plains and the crooked places will be made straight and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together.
This is our hope.This is the faith that I will go back to the South with. With this faith we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.With this faith we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. 

With this faith we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to climb up for freedom together, knowing that we will be free one day. 

This will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning "My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing. Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride, from every mountainside, let freedom ring!" 

And if America is to be a great nation, this must become true. So let freedom ring from the hilltops of New Hampshire. Let freedom ring from the mighty mountains of New York. Let freedom ring from the
heightening Alleghenies of Pennsylvania. Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado. Let freedom ring from the curvaceous slopes of California. But not only that, let freedom, ring from Stone
Mountain of Georgia. Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every mountainside. 

When we let freedom ring, when we let it ring from every tenement and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old spiritual,

       

"Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last."  


(日本語訳)


私には夢がある。 いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、 かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者 たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛ける時が くるという夢が。 私には夢がある。 いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌 の色によってではなく、人となりそのものによって評価される 国に住む時が来るという夢が。 私の父が死んだ土地で、メイフラワーの清教徒達が誇りとした 土地で、 すべての山々から自由の鐘を鳴らそうではないか。 も しアメリカが偉大な国であるのなら、これは実現されなければ ならない。 ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から、自由の鐘を鳴らそう ではないか。 ニューヨークの稜々たる山々から、自由の鐘を鳴 らそうではないか。 ペンシルベニアのアルゲニー高原から、自 由の鐘を鳴らそうではないか。 コロラドの雪を頂いたロッキー 山脈から、自由の鐘を鳴らそうではないか。 カリフォルニアの 曲線の美しい丘から、自由の鐘を鳴らそうではないか。 それらばかりではない。 ジョージアの石ころだらけの山、テネシーの望楼のような山、 そ して、 ミシシッピーの全ての丘から、自由の鐘を鳴らそうでは ないか! すべての山々から、自由の鐘を鳴らそうではないか! そして 私たちが自由の鐘を鳴らす時、 私たちがアメリカの全て の村、すべての教会、全ての州、全ての街から自由の鐘を鳴ら すその時、全ての神の子、白人も黒人も、ユダヤ人も非ユダヤ 人も、新教徒もカソリック教徒も、 皆互いに手を取って古くか らの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。「 自由だ、 ついに自由だ、全能の神よ、感謝します。ついに我々は自由に なったのだ」と。   


== 〔キング牧師の暗殺(3)〕 == 


南部の公民権運動で幾多の成功を納めたキング牧師だったが、マルコム・Xやブラック・パンサーの登場以後“ブラック・パワー”という暴力に結びついた運動に押され、黒人の若者たちから「非暴力運動はもう古い」とまで云われるようになった。特に1965~1967年当時のロサンジェルスやシカゴ、デトロイト、クリーヴランドなどでは暴徒と化した黒人集団を抑え切れず、キング牧師の影響力に翳りが見えて来た。

1968年、彼はヴィエトナム戦争に巨額の税金が使われていることを指弾し、その金は貧しい人間の福利厚生に使われるべきだという運動を始めた。これは公民権運動から政治運動へ転換したものとみなされ、NAACP(全国黒人地位向上協会)すらが反撥した。NAACPは「大統領ジョンソンは、歴代の大統領の中で最も黒人のために動いてくれている、その彼を攻撃するわけにはいかない」と考えていたのだ。そんな折り、同じように戦争問題と貧困問題に悩んでいたケネディ上院議員が、「アメリカ中の貧しい人々をワシントンD.C.に集めては?」という案をキング牧師に間接的に伝えた。キング牧師は「それはいいアイデアだ!」と飛びつき、すぐさま'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)のための資金集めを開始した。

当時、メンフィスのゴミ収集組合が待遇改善を求めるストライキに入っていて、彼等は毎日市役所までのデモ行進を展開していた。キング牧師は「貧民大キャンペーン」にゴミ清掃人たちも含めたいと考え、その運動をサポートするためにメンフィス入りした。1968年4月3日、ある教会でスピーチをする予定だったが、彼の健康がすぐれなかった。実はこの時期がキング牧師にとって最悪で、教会のスピーチをキャンセルしようとし、盟友でもある牧師ラルフ・アバーナシィにスピーチの代理を頼んだ。しかし、ラルフ・アバーナシィは満場に溢れる聴衆の数に驚き、キング牧師に「数分でいいから話してくれ」と迎えをやる。キング牧師は急遽やって来ると、原稿もなしでスピーチをした。 

これが有名な"I've been to the mountaintop"(私は山の頂きに立った)という最後のスピーチだ。


「メンフィスに着いた時、人々は我々に対する脅迫に言及し、“病的な白人の兄弟たち”が私に何かするかも知れないと云った。何が起るか分らない。まだ困難が控えている。しかし、それは私には問題じゃない。私は山の頂きに立ったからだ。誰しもが望むように私も長生きはしたい。しかし、今、私にはそれもどうでもいいことだ。私は神の望まれることをするまでだ。神は私に山の頂きへ行くことをお許しになった。そこで、私は約束の地を見た。そこへあなたがたと一緒に行くことは出来ないだろう。しかし、今夜、あなた方に知って頂きたい。私たちは約束の地へ行けるのだ。だから、私は今夜幸せである。何も心配せず、誰をも恐れていない。私の目は神の栄光ある降臨を見たからだ」この、死を予感したかのようなスピーチの後、キング牧師は失神したようにラルフ・アバーナシィの腕の中にたおれた。

翌4月4日はモテルでゆっくり休養を取り、部屋の中で友人たちと枕投げをしたり、フットボールの試合のように皆で折れ重なって倒れたり、とても楽しい時間を過ごしたそうだ。

その日の夕刻。親しい地元牧師に招かれたディナーの時刻となり、キング牧師は友人たちと二階の306号室を出ましたが、「コートがいるな」と側近がコートを取って来るまで、しばしドアの前で待っていた。その時、銃声が一発。キング牧師は倒れた。救急車で病院に運ばれたものの、撃たれて30分後には死亡を宣告された。39歳の若さだった。1963年のJ.F.K.暗殺に次ぐ、アメリカの偉大な損失だった。


キング牧師が暗殺されたことに、全米の黒人を怒らせ、各地で暴動が起こった。


キング牧師の遺体は故郷アトランタに送られた。葬儀は先ずキング牧師親子が仕えていたEbenezer Baptist Churchで、近親者、友人たち、公的人物のみが参加して行われた。

一般が参加出来る告別式は、そこからかなり離れたMorehouse College(モアハウス・カレッジ)で行われた。お棺の付添人たちはデニムの上下を着用し、粗末な木の馬車にお棺を乗せ、二頭のロバに引かせた。これは貧しい人々のキャンペーン活動を模したものだった。ゆっくりと進む馬車には50,000人とも100,000人とも云われる参列者が従ってた。カレッジにおいてキング牧師とのお別れをする人々の長い列は、その後尾を見定めることが出来ないほどだったそうだ。


全米でキング牧師追悼の動きが起り、約500ヶ所の通りがMartin Luther King, Jr. Boulvard (あるいはStreet)と命名された。 そして1983年、1月20日のキング牧師の誕生日は国民の祝日と制定された。


キング牧師の功績は、今も語り継がれている。

(1)引用・参考資料 http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/english/e3martinking.html#top
(2)引用・参考資料 http://dreamer1.hp.infoseek.co.jp/dream.html
(3)引用・参考資料 http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_22.html

  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成