宗教12

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 イスラームの創始者ムハンマドの誕生には神話化された伝承がある。メッカのヒラ―山でうとうとしているとき、天使ガブリエルから啓示を受け、しだいに預言者としての自覚を深めたとされる。ムハンマドが神から受けた啓示がイスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)に記されており、この啓示を使徒に読み聞かせていたという。使徒はその内容を記憶し、ムハンマドの死後にクルアーンの編纂を行った。クルアーンの全体は114章からなり、内容は、天地創造、終末、審判、天国と地獄、預言者、礼拝、断食、巡礼、タブー(ハラーム)、ジハード(聖戦)など多岐にわたり、宗教的内容に限らず、日常生活の法律、道徳などについても記されており、ムスリムはこれをすべての行動の基本原則としてきている。アッラーの啓示というが、ノアの洪水、出エジプト、イエスの話など旧約聖書や新約聖書の影響もうかがえる。これはムハンマドが当時のマッカ(メッカ)近辺にいたユダヤ教徒やキリスト教徒と交流するなかで、その宗教思想を形成したからと考えられる。  イスラームの創始者ムハンマドの誕生には神話化された伝承がある。メッカのヒラ―山でうとうとしているとき、天使ガブリエルから啓示を受け、しだいに預言者としての自覚を深めたとされる。ムハンマドが神から受けた啓示がイスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)に記されており、この啓示を使徒に読み聞かせていたという。使徒はその内容を記憶し、ムハンマドの死後にクルアーンの編纂を行った。クルアーンの全体は114章からなり、内容は、天地創造、終末、審判、天国と地獄、預言者、礼拝、断食、巡礼、タブー(ハラーム)、ジハード(聖戦)など多岐にわたり、宗教的内容に限らず、日常生活の法律、道徳などについても記されており、ムスリムはこれをすべての行動の基本原則としてきている。アッラーの啓示というが、ノアの洪水、出エジプト、イエスの話など旧約聖書や新約聖書の影響もうかがえる。これはムハンマドが当時のマッカ(メッカ)近辺にいたユダヤ教徒やキリスト教徒と交流するなかで、その宗教思想を形成したからと考えられる。
 ムスリムが事実のものとして信じるのは「六信(アッラー、天使、啓典、預言者、来世、予定)」であり、この世からあの世まで、一貫した世界観をもっており、誰が救われ、誰が救われないのか、彼らには明確であるとされている。また、ムスリムが求められる基本的な実践は、信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート)、断食(サウム)、巡礼(ハッジ)の5つあり、五行(あるいは五つの柱)と呼ばれる。ムスリムは生活の中に宗教が自然にとけこんでおり、断食も祈りも当然のこととして受け容れるものとされている。  ムスリムが事実のものとして信じるのは「六信(アッラー、天使、啓典、預言者、来世、予定)」であり、この世からあの世まで、一貫した世界観をもっており、誰が救われ、誰が救われないのか、彼らには明確であるとされている。また、ムスリムが求められる基本的な実践は、信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート)、断食(サウム)、巡礼(ハッジ)の5つあり、五行(あるいは五つの柱)と呼ばれる。ムスリムは生活の中に宗教が自然にとけこんでおり、断食も祈りも当然のこととして受け容れるものとされている。
 + イスラームの信仰共同体はムハンマドの死後、内部争いはいまだに続いている。その最大のものがシーア派の分裂であると考えられている。シーア派も当時は「アリー派」と呼ばれていた。アリーは、スンニ派では第4代カリフ(神の代理)であるが、これを認めないウマイヤ家との間で戦いが起こった。その最中にアリーはかつての味方によって殺されしまい、ウマイヤ朝が始まった。シーア派は預言者ムハンマドの実の孫が殺されたことをきっかけに生まれた。今日でもムラッハム月(第1月)10日には、この事件を思い起こし、フサインの受難劇を繰り返す。シーア派は、アリー以前のカリフ(アブー・バクル、ウマル、ウスマーン)を認めず、アリーとその後裔である「預言者ムハンマド家の人々」のみを正統な後継者としている。このように、ムスリムの9割を占めるスンニ派に対するシーア派の形成は、預言者ムハンマドの孫が殺された事件が深く関わっていることは明らかである。
   
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 +○南アジアの宗教
 + 古代インドでバラモン階級を中心に発達した宗教であり、ヴェーダを聖典とするのでヴェーダ宗教といわれることもある。ヴェーダとは「知識」を意味し、詩人たちが、神の啓示を感得して作ったとされ、サンヒタ―(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ―ンタ(「ヴェーダの末尾」という意味))の4つの部分からなる。ヴェーダに登場する神々は、自然現象を神格化したものが多く、バラモン教ではブラフマン(梵)とアートマン(我)とが、実は同一であるとする「梵我一如」の思想ができあがった。さらに、ウパニシャッドで確立されたカルマ(業)・サンサーラ(輪廻)・モクシャ(解脱)の思想は、相互に関連してその後のインド宗教全般に決定的な影響を及ぼすことになった。
 + ヒンドゥー教は今日インド人の8割以上が信仰する宗教である。社会制度、法制度、習俗など生活全般に関わっている。ヒンドゥー教は広い意味ではバラモン教をも含めるが、普通は仏教成立以後のものをさす。紀元前6~4世紀頃、インドに反バラモン教的な思想家が次々と出現し、仏教やジャイナ教などの新しい宗教が成立したが、土着の民間信仰や習俗などを吸収しながら、大きく変貌していったことを広い意味でのヒンドゥー教とした。その後、イスラームの進出によって、ムスリム王朝に支配されるが、そうしたなかでもヒンドゥー教の侵攻は根強く生き残ったのである。ヒンドゥー教にはバラモン教から継承したものも多いが、二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が新たな聖典となった。また、『プラーナ』『マヌ法典』などの法典類も聖典として扱われた。神々も様変わりし、ビシュヌ神やシヴァ神が崇拝の中心となった。ブラフマー神が創造を、ビシュヌ神が維持を、シヴァ神が破壊を担当し、それらの神は実は同じ根本原理であるとする「三位一体」の説も作られた。
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2016年8月6日 (土) 03:05の版

○宗教の定義  宗教の定義は多種多様であり、俗に「宗教学者の頭の数ほどもある」などと言われているが、それくらい宗教とは何かという問いは厄介であるということである。  宗教についての見方を大きく分けると、社会的な組織や制度あるいは文化の一種として考える立場と、人間の心のあり方の特徴として捉える立場の2つがある。社会的文化的な問題として考えると、教会、寺院、神社などの具体的な組織を通して営まれる。一方、心の問題として考えると、神、仏、精霊、祖霊などと表現されるような、人間を超えた存在(超越的存在)を実感したり、それとの交流を求めたりする人間の心のありようがそうである。


○宗教の起源  人間と宗教も関わりははるか昔にさかのぼる。1859年に、ダーウィンの『種の起源』が刊行され、進化論は西洋の学界でブームとなったが、社会や文化も進化するという発想は宗教にも及んだ。宗教も原始的なものから、高度の一神教まで発展したと考えられる。18世紀後半に、アフリカの宗教を研究したド・ブロスは超自然力をもった呪物を崇拝するフェティシズムという考えを出し、ヨーロッパでは、これが原始宗教の特徴のようにみなされた時期があった。またインドの神話研究などで知られるマックス・ミューラーは、古代人の太陽や月の運行雷や嵐など自然現象に対する解釈が神話に反映していると考えた。イギリスの学者タイラーは、アニミズムの説を唱えた。アニミズムとは、霊魂、精霊の存在への信仰である。タイラーの弟子のマレットは、生命力や超自然的な力(マナ)といったものへの侵攻がより古いとして、これをプレアニミズムと名づけた。さらに北米先住民などに見られるトーテミズムなども考えられた。しかし、あるひとつの原始的な形態からしだいに進化した宗教形態が出てきたという考え方は、今日では支持されなくなっている。   宗教の教え、民族の歴史などがこめられた聖なる書を聖典・教典という。教典とはそれぞれの宗教の教えが記された書である。神聖な書という側面を強調するときは聖典と呼ばれる。また仏教では、教典あるいは仏典といわれる。世界宗教(キリスト教、イスラーム、仏教)には当然教典ないし聖典がある。キリスト教には『旧約聖書』『新約聖書』、イスラームには『クルアーン(コーラン)』、仏教には数多くの経典があるが、なかでも多くの経典を集成した『大蔵経』が有名である。  民族宗教でも教典・聖典をもつことがある。ユダヤ教では『トーラー』『タルムード』があり、道教では『大蔵経』に対抗して作られた『道蔵』という教典がある。バラモン教では『ヴェーダ』、ヒンドゥー教では『ギータ』が聖典である。また世界宗教以外の創唱宗教でも独自の教典を持つ。ゾロアスター教の『アヴェスタ』がその例である。日本の新宗教にも教祖の教えや言行録など、独自の教典としてまとめたものが少なくない。天理教の『おふでさき』『みかぐらうた』などがある。  教典の内容は多様である。神の啓示、神々への賛歌、民族の神話や伝承、創始者の教えやその言行録、戒律等々である。とくに古代の教典は、そこに民族が築いた制度や文化といったものが凝集されているので、宗教的内容に限らず、文化一般、法律、経済、社会的習慣といった幅広い内容のものを含んでいるのがふつうである。教典・聖典のうち、とくに重要な部分や親しまれる部分は、民族あるいは信者たちによって記憶され、暗誦されたりすることが多い。  民族の歴史のなかでいつしか伝統となり、信仰となったものを民族宗教という。民族宗教は創始者や起源が明確ではなく、民族の形成のなかでいつしかできあがった信仰の形態であり、それぞれの民族が伝えてきた神話や伝承、社会的儀礼や慣習となった行為を含んでいる。民族宗教では神話が重視され、祖先崇拝、シャーマニズム、自然崇拝、アニミズムといった信仰形態が多く見られる。ただヨーロッパによる植民地、占領、移民のどを経験した国の民族宗教には、古くからの形態が変わったり、失われたりしたものが多い。  民族主教のなかには、民族を越えて広がるものがあり、一種の世界宗教的性格を見せるのである。これはその民族の文化自体の影響力の大きさと考えることができる。ヒンドゥー教は、インド以外にも南アジア、東南アジアに広まり、ヒンドゥー・仏教文化というものが伝えられた。  明確な創始者がわかっている独創的な宗教を創唱宗教といい、代表的なものとして、キリスト教、イスラーム、仏教などがある。創唱宗教は、その宗教は生まれた地域に存在した宗教から多くの影響を受ける、仏教やジャイナ教はバラモン教から、キリスト教はユダヤ教から、イスラームはアラブの民族宗教やユダヤ教とキリスト教から、という具合である。創唱宗教は伝統的宗教と断絶しているわけでなく、むしろそれらのイノベーションとして理解できる面が多い。  生活・民族のなかにとけこんだ宗教を民族宗教・宗教習俗という。初詣、七五三、神前結婚式、墓参りなどがあげられる。生活の中に深くとけこみ、人々にとってあまり宗教という意識もなく、伝えられてきた宗教である。年中行事とは、一年の季節の変化のなかで、その社会の儀礼として行われるものである。例えば、初詣、節分、節句、七夕、大祓などがそれにあたる。また人生儀礼は通過儀礼ともいわれるが、誕生、成人、結婚、葬式など人生の重要な節目に行われる。このような儀礼を通して、自然の恵みに感謝したり、新たな力を得たり、家族や共同体の繁栄を願ったりするのである。それはごく自然な感情であるので、世界宗教にあってもしだいにそうした習俗的な面を発展させていくのが普通である。キリスト教のクリスマスなどはその典型である。クリスマスツリー、サンタクロース、贈り物の交換など、初期のキリスト教にはなかったものが、どんどん付け加わってゆき、一般的にはそれがクリスマスを特徴づけるものになっている。  呪術には法則があるのではないかと考えたのはフレーザーであり、彼は呪術を類感呪術、感染呪術とに分けた。呪術もうち、とくにタブーと呼ばれるものがある。ある人物、事物などを避けるべきもの、危険なものとみなして、接触を禁じたり、特定の行為を禁じるもので、その禁則をタブーという。これを破った者は災いがもたらされ、場合によっては死に至るとされる。世界の民俗を比較した場合、タブーとされやすい人物としては、王、戦士、殺人者、妊娠中や生理中の女性などがあげられる。呪術は宗教とは一応区別されるが、実際にはどこに線を引くのか難しい。教会での祈りは宗教であり、呪文を唱えるのは呪術といった理解が普通である。  シャーマニズムは、神々や祖霊、精霊などと人間をとりもち、病気を治し、予言などの呪術的―宗教的な行為をするシャーマンを中心とする宗教形態である。古代から存在し、現代世界においても広い地域において見出される。以前は、もっぱら北アジア・極北地域に見られると考えていたが、現在では全世界的に存在する、むしろ普遍的宗教形態とみなされるようになっている。シャーマンという語は、もともとはツングース語や満州語の「サマン」に由来するという説が有力である。日本で巫者、巫師、巫術師などと表現する。シャーマンは、神々などと直接的に接触・交流できる能力を持つと信じられている。 シャーマンと神々などとの接触・交流の形態に関しては、脱魂型(エクスタシー型)、憑依型(ポゼッション型)の2つがあるとされる。いずれの場合も、シャーマンはトランス状態になり、日常的な意識や心理状態とは異なるものとなる。シャーマンと似た存在に、預言者、霊媒者、呪医、邪術師などがある。  宗教学者ベラーは、古代宗教を宗教の歴史的展開のひとつのタイプとして考え、宗教の歴史的及び社会的な展開を5段階に分けた。①原始宗教、②古代宗教、③歴史宗教、④近代宗教、⑤現代宗教である。原始宗教では、宗教は独自の組織をもたず、社会と身分化の状態にある。これに対し、古代宗教は社会に身分制度が生まれ、神々の世界にそれが反映されるという特徴をもつ。この考えでは、古代宗教は独自の共同体をもたないことになるが、マニ教、ゾロアスター教、ミトラス教などは、信者組織と呼べるものをもっていた。仏教、キリスト教、イスラームといった世界宗教の影響を受ける以前に、それぞれの地域に形成されていた体系だった宗教と考えることができる。古代宗教には世界宗教の影響を受けて変容したり、消滅したものや、世界宗教に影響を与えた場合もある。古代宗教は予想以上に整った教えや組織をもっていたことが、しだいに明らかにされてきている。


○古代エジプトの宗教  古代エジプト人は、人間は死んでも魂は死なずに死後の世界に行き、ときにはもとの体に戻ってくると信じた。そのため、死体の体はミイラにされて墓所に安置された。魂が死後の世界へ赴く過程や、死者の神オシリスの前で、死者が障害になした善悪を判定するための秤にかけられる様子は、『死者の書』と呼ばれる文書に記されている。  古代エジプトの宗教は、太陽神ラ―など多くの神々を信仰対象としていた。エジプトの遺跡としてはピラミッドが有名だが、これは王(ファラオ)の墓である。死後の王の永正を願い、また王の威厳を示すためのものである。


○ゾロアスター教  ゾロアスター教は現在のイラン北東部からアフガニスタンにかけての地域で古代に興った。寺院には、日常生活や祭儀に欠かせない聖なる火が絶えることなく燃えており、それが崇拝されるので、拝火教ともよばれる。創始者はゾロアスターで、聖典は『アヴェスタ』であり、典型的な二元論が説かれている。それは生命・光と死・闇との戦いでもある。そのどちらに所属するかは、人間の自由意志とされるが、各自がなした行為は、死後その魂が報いを受けることになる。さらに、最後の審判、終末における救世主の登場といった観念は、ユダヤ教、キリスト教などにも影響を与えたとされる。


○ユダヤ教  ユダヤ教は民族宗教であり、その起源は明確ではない。ただユダヤ教徒の考えでは、紀元前13世紀前半頃、モーセの指導によりイスラエルの民がエジプトから脱出し、シナイ山において神ヤハウェと「シナイ契約」と呼ばれる契約を結んだのがユダヤ教の始まりとなる。ユダヤ教の戒律は厳格であり、613の戒律が定められた。最も有名なのは、安息日に関するものであり、金曜の日没から土曜の夕方までが安息日で、この日は仕事をしてはならない。種をまくこと、結び目を作るなど安息日に禁じられている行為は、その他の事項を含め、合計で39にも及ぶ。また多くの食べ物に関するタブーがある。


○仏教  仏教の創始者であるゴータマ・シッダッタは、お釈迦さま、釈尊、ブッダ(仏陀)などさまざまに呼ばれる。ブッダとは悟った人(覚者)の意味で、釈尊とは釈迦族の聖者という意味である。ブッダの伝記が文字に記されるのは、没後数百年経ってからであるため、確かな事実を知り得るわけではなく、多くの説があり、内容がかなり神格化されている。  ブッダの悟りや仏教の中心的教えについてはの説はいくつかに分かれ、15種類ほどあるとされている。そのなかで代表的な説は、四諦八正道を悟ったというものである。これは、4つの真理とそれをえるための8つの正しい道である。根本的な4つの真理は、人生の現実は自分の思い通りにはならず苦である(苦諦)、その苦は煩悩やもろもろの欲望から生ずる(集諦)、それらの欲望を滅することで悟りが開かれる(滅諦)、そのためには正しい実践を行わなければならない(道諦)、そしてその正しい実践が八正道である。  人生が苦に満ちている(一切皆苦)というのは、仏教の基本的な教えである。それは四苦八苦として示される。また、三法印という示された教えがある。


○キリスト教  イエスは紀元前4年頃、今のイスラエルのガリラヤ地方のナザレに生まれ、紀元後30年頃死亡したとされる。幼少の頃の確かな記録はないが、十字架にかけられ処刑される前の2年余りの言行が、福音書によって知られている。福音書とは、新約聖書のなかで、イエスの言行録を記したものである。  イエスは人々に神の国が近いことを説き、病人を癒したり、悪霊を追い払ったり、死者を蘇らせるなどの奇跡をなしたとされている。だがユダヤ教の律法学者やパリサイ派の指導者などは、彼の言動はユダヤ社会の秩序を乱すと感じた。やがてイエスは弟子に裏切られ、ユダヤの最高法院によって逮捕され、「神の子」と称していることが涜神の罪にあたるとして死刑の判決を受けた。イエスが生存していた頃のユダヤ教には、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の3党派があった。イエスの立場はエッセネ派に近かったとされ、パリサイ派に批判されるが、内面の信仰と実践を重視した立場から、逆にパリサイ派の形式的儀礼の順守を批判した。  宗教的な意味での「復活とは、死者が蘇ることはあるが、キリスト教徒にとっては、とくに十字架にかけられたイエスが、死後蘇ったことをさす。これは単に生き返った、つまり蘇生したということではなく、もはや死ぬことのない「栄光の体」として蘇ったことを意味する。それはイエスが神の子であることの証明とも考えられた。このイエスの復活を記念し祝うのがイースター(復活祭)であ、キリスト教会暦の祝祭では最も古い。  通常聖書と呼ばれているのは旧約聖書と新約聖書の2つである。旧約聖書はもともとユダヤ人の聖典であるが、キリスト教徒も聖典と考えている。旧約聖書はヘブライ語で編集され、天地創造の話から始まる創世記をはじめ、多くの律法書、預言書、その他からなる。古代ユダヤ人の神話、歴史、法律、生活習慣、文字など多くのことがわかる。とくに、最初の律法5巻はモーセ五書と呼ばれ、ユダヤ人のアイデンティティと生活の規則にとって重要な意味を持つ。旧約聖書は紀元前3世紀なかばから紀元2世紀にかけてギリシア語に訳された(「セプトゥアギンタ」)。新約聖書はキリスト教の聖典であり、イエスの言行録(福音書)や弟子たちの手紙などが中心である。


○イスラーム  イスラム教はかつてマホメット教、回教、清真教など様々に呼ばれていたが、これらは今日ではほとんど用いられず、イスラームという言い方が広がっている。イスラームとは「(神の意志や命令への)絶対帰依・服従」を意味する。世界に約10億人いると推定されているムスリムの信じる神はアッラーで、唯一絶対神である。7世紀前半にイスラームが出現する前のアラブ世界は多神教であったが、イスラーム以降、この唯一神への信仰は急速に広まっていった。  イスラームでは偶像崇拝が激しく禁止されており、創始者ムハンマドに関しても同様である。偶像崇拝の禁止は、実はユダヤ教と共通している。十戒として知られるモーセの教えには「自分のために、偶像を造ってはならない」とあり、「あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない」ともあるが、この点はイスラームでは異なり、ムスリムはことあるごとに神の名を唱え、神をたたえる。その際、神にはいろいろな形容の言葉をつけるが、代表的なのは「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)などの表現である。  イスラームの創始者ムハンマドの誕生には神話化された伝承がある。メッカのヒラ―山でうとうとしているとき、天使ガブリエルから啓示を受け、しだいに預言者としての自覚を深めたとされる。ムハンマドが神から受けた啓示がイスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)に記されており、この啓示を使徒に読み聞かせていたという。使徒はその内容を記憶し、ムハンマドの死後にクルアーンの編纂を行った。クルアーンの全体は114章からなり、内容は、天地創造、終末、審判、天国と地獄、預言者、礼拝、断食、巡礼、タブー(ハラーム)、ジハード(聖戦)など多岐にわたり、宗教的内容に限らず、日常生活の法律、道徳などについても記されており、ムスリムはこれをすべての行動の基本原則としてきている。アッラーの啓示というが、ノアの洪水、出エジプト、イエスの話など旧約聖書や新約聖書の影響もうかがえる。これはムハンマドが当時のマッカ(メッカ)近辺にいたユダヤ教徒やキリスト教徒と交流するなかで、その宗教思想を形成したからと考えられる。  ムスリムが事実のものとして信じるのは「六信(アッラー、天使、啓典、預言者、来世、予定)」であり、この世からあの世まで、一貫した世界観をもっており、誰が救われ、誰が救われないのか、彼らには明確であるとされている。また、ムスリムが求められる基本的な実践は、信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート)、断食(サウム)、巡礼(ハッジ)の5つあり、五行(あるいは五つの柱)と呼ばれる。ムスリムは生活の中に宗教が自然にとけこんでおり、断食も祈りも当然のこととして受け容れるものとされている。  イスラームの信仰共同体はムハンマドの死後、内部争いはいまだに続いている。その最大のものがシーア派の分裂であると考えられている。シーア派も当時は「アリー派」と呼ばれていた。アリーは、スンニ派では第4代カリフ(神の代理)であるが、これを認めないウマイヤ家との間で戦いが起こった。その最中にアリーはかつての味方によって殺されしまい、ウマイヤ朝が始まった。シーア派は預言者ムハンマドの実の孫が殺されたことをきっかけに生まれた。今日でもムラッハム月(第1月)10日には、この事件を思い起こし、フサインの受難劇を繰り返す。シーア派は、アリー以前のカリフ(アブー・バクル、ウマル、ウスマーン)を認めず、アリーとその後裔である「預言者ムハンマド家の人々」のみを正統な後継者としている。このように、ムスリムの9割を占めるスンニ派に対するシーア派の形成は、預言者ムハンマドの孫が殺された事件が深く関わっていることは明らかである。  

○南アジアの宗教  古代インドでバラモン階級を中心に発達した宗教であり、ヴェーダを聖典とするのでヴェーダ宗教といわれることもある。ヴェーダとは「知識」を意味し、詩人たちが、神の啓示を感得して作ったとされ、サンヒタ―(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ―ンタ(「ヴェーダの末尾」という意味))の4つの部分からなる。ヴェーダに登場する神々は、自然現象を神格化したものが多く、バラモン教ではブラフマン(梵)とアートマン(我)とが、実は同一であるとする「梵我一如」の思想ができあがった。さらに、ウパニシャッドで確立されたカルマ(業)・サンサーラ(輪廻)・モクシャ(解脱)の思想は、相互に関連してその後のインド宗教全般に決定的な影響を及ぼすことになった。  ヒンドゥー教は今日インド人の8割以上が信仰する宗教である。社会制度、法制度、習俗など生活全般に関わっている。ヒンドゥー教は広い意味ではバラモン教をも含めるが、普通は仏教成立以後のものをさす。紀元前6~4世紀頃、インドに反バラモン教的な思想家が次々と出現し、仏教やジャイナ教などの新しい宗教が成立したが、土着の民間信仰や習俗などを吸収しながら、大きく変貌していったことを広い意味でのヒンドゥー教とした。その後、イスラームの進出によって、ムスリム王朝に支配されるが、そうしたなかでもヒンドゥー教の侵攻は根強く生き残ったのである。ヒンドゥー教にはバラモン教から継承したものも多いが、二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が新たな聖典となった。また、『プラーナ』『マヌ法典』などの法典類も聖典として扱われた。神々も様変わりし、ビシュヌ神やシヴァ神が崇拝の中心となった。ブラフマー神が創造を、ビシュヌ神が維持を、シヴァ神が破壊を担当し、それらの神は実は同じ根本原理であるとする「三位一体」の説も作られた。


 


参考:図解雑学 宗教 最新版 井上順考 ナツメ社


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