庄田門弥
出典: Jinkawiki
2017年7月27日 (木) 14:53の版
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概要
18世紀はじめ、現在の本庄市にあたる武州児玉郡北堀村本田の組頭であった庄田門弥(しょうだもんや)は、陸を走る舟形の車である「陸船車(りくせんしゃ)」を発明した。千里を走るという意味から「千里車」とも呼ばれ、時の将軍徳川吉宗も江戸まで運ばせてご覧になったそうだ。 多くの研究者の協力を得て門弥の陸船車の構造を研究し、門弥の陸船車こそが「世界最古の自転車機能」であると結論づける学術論文を平成20年3月3日に発表された。滋賀県彦根市立図書館にある『平石家文書』に、「武州北堀村(今の本庄市北堀)の門弥なる人物が、一時に七里を走り(時速約14キロメートル)、坂も登れる「陸船車」なる乗り物を作り、近々将軍がご覧になる。」という享保14(1729)年の記録が残っている。もともとこの古文書は、当主の平石久平次(彦根藩士)が、門弥の陸船車を研究改良し、新たな陸船車を製作したことを図面とともに記したものであって、久平次の陸船車は船に車輪がついた形をしており、この古文書が発見された大正時代から現在まで、「ヨーロッパよりもはるか以前に発明された自転車、あるいは自動車」として、たびたび新聞などでも取り上げられてきた。門弥の陸船車は久平次に影響を与えたという意味で、「世界最古の自転車あるいは自動車」と言えるはずなのだが、史料も少なくその構造について学術的な研究が進んでいなかったことから、これまで世にクロースアップされなかった。久平次の陸船車はあくまで「世界最古のクランクペダル式を採用した自転車機能」であり、門弥の陸船車こそが「世界最古の自転車機能」であるのだ。自転車の発明者は埼玉の人で庄田門弥が発明した「陸船車」は世界最古の自転車機能だったのだ。
歴史
滋賀県彦根市立図書館にある『平石家文書』に、「武州北堀村(今の本庄市北堀)の門弥なる人物が、一時に七里を走り(時速約14キロメートル)、坂も登れる「陸船車」なる乗り物を作り、近々将軍がご覧になる。」という享保14(1729)年の記録が残っている。 もともとこの古文書は、当主の平石久平次(彦根藩士)が、門弥の陸船車を研究改良し、新たな陸船車を製作したことを図面とともに記したものだ。
久平次の陸船車は船に車輪がついた形をしており、この古文書が発見された大正時代から現在まで、「ヨーロッパよりもはるか以前に発明された自転車、あるいは自動車」として、たびたび新聞などでも取り上げられてきました。 門弥の陸船車は久平次に影響を与えたという意味で、「世界最古の自転車あるいは自動車」と言えるはずなのですが、史料も少なくその構造について学術的な研究が進んでいなかったことから、これまで世にクロースアップされなかった。
多くの研究者の協力を得て門弥の陸船車の構造を研究し、久平次の陸船車はあくまで「世界最古のクランクペダル式を採用した自転車機能」であり、門弥の陸船車こそが「世界最古の自転車機能」である、と結論づける学術論文を発表した。
陸船車の仕組み
この「門弥式陸船車」は、「新製陸舟車(久平次式陸船車)」と違い、踏車と歯車の原理を応用した足踏み式自走で推進した。構造上、久平次式の様にハンドル操作による方向転換はできず、体を傾け重心を移動したと考えられる。踏車や舟など身近な道具からの着想による発明で、近代の自転車とは構造が大きく異なる。また、三輪車の久平次式に対し、門弥式は四輪車である(立って搭乗する点は共通)。 車軸の中心にはめ込んだ小歯車が、上方の足踏み式大歯車(踏車の応用)とかみ合い、足で漕ぐ事により、歯車が連動して走行する仕組みとなっている。大歯車の側面には乗木という板が放射状に設置されて、これを踏んで回転させた。門弥式はこの踏車型機構が前輪側に設置されている。そのシンプルな機構ゆえに短期間で発展を遂げたと言える。
参考文献
・世界最古の自転車機能- 門弥(もんや) の「陸船車(りくせんしゃ)」を知っていますか(平成20年4月1日号) http://www.city.honjo.lg.jp/shisei/shicho/column/kako_column/h20nen/1375165261525.html ・埼玉県は自転車発祥の地 http://www.potabiyori.com/archive/saitama/ ・ウィキペディア「陸船車」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%88%B9%E8%BB%8A