日露戦争3
出典: Jinkawiki
(版間での差分)
2018年1月21日 (日) 22:22の版
目次 |
[編集]
日露戦争
1904年2月から翌年9月にかけて行われた日本とロシアによる戦争。 日本の現役総兵力が約18万人、ロシアが約110万人。 日本の予備・後備兵力が約85万人、ロシアが約240万人と日本が圧倒的不利な状態にあったが、日本は数々の戦いで勝利を収めた。 しかし、軍事的・経済的な面でも徐々に厳しくなり、また、ロシアも革命運動が激しくなったことで、お互いが早期戦争終結を望むようになった。 そして、1905年にアメリカのポーツマスでの講和条約を結び、日露戦争が終結した。
[編集]
間戦時の陸海共同戦略計画
[編集]
間戦奇襲と宣戦布告
1903年12月に間戦準備し、佐世保軍港に停泊している戦艦に連合司令長官、東郷中将は上村第12艦隊司令長官ほか、当面の作戦計画を説明した。 そして、連合艦隊による旅順港外のロシア艦隊への夜襲作戦が決行された。これらを受けてロシアは9日に、日本は10日に宣戦布告した。
[編集]
参考文献
教科書が教えない日露戦争 著者:松村劭 出版:文春コネスコ 発行日:2004年9月1日