重商主義

出典: Jinkawiki

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2018年1月28日 (日) 00:54の版

16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策であり、貿易を主軸とした経済政策である。 概要 絶対王政の経済政策とされる重商主義は、国王の財政上の必要から国内の商工業の保護育成に努め、輸出の奨励、輸入の制限など経済・貿易活動に国家が介入するものであった。イギリス、フランスなどのオランダの周辺にあった絶対主義国家は、オランダの強力な商業覇権に対抗して経済自立を達成する必要から、この重商主義国家政策をとった。ここから、西北ヨーロッパを中心とした重商主義的な国際政治システムが形成されていくこととなった。 イギリスの重商主義  東アジアでオランダとの商業戦を展開する東インド会社の重役トマス・マンが主張していたように貿易差額による国富の増大を目指すことと、そのための国内工業の育成にあった。また、海外に自国の服従地域を広げ、そこを自国むけの原材生産品の市場とする植民地政策に重点がおかれていた。イギリスのこのような重商主義は、絶対王政の時代よりもむしろ17世紀の2度の革命で議会主権の国家になってから本格的に展開していった。 フランスの重商主義  オランダやイギリスとの国際競争に対して、専ら王室の監督・統制による輸出むけの特権的工業を育成することにあった。17世紀後半、ルイ14世の財務総監コルベールが協力に進めたこの重商主義は、「コルベール主義」と言われるがこれは、王立マニュファクチュアの設立と資金援助、関税制度の改善、東インド会社の再建などの経済政策に留まらず、海軍の増強や文芸の奨励など、広範な国力増強政策であった。 重商主義時代  世界商業の覇者オランダは、17世紀後半イギリスの公布した航海法を契機に3回にわたるイギリスとの戦争に敗北して大打撃を受けた。重商主義時代の世界商業争覇戦は18世紀に入るとイギリスとフランスの間で植民地を舞台として数次にわたって繰り返された。

参考文献 世界近代史全史 大江一道 1991年 山川出版社 重商主義解体期の研究 小林昇 1995年 未来社

Hネーム Sato


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