オーストラリアの教育現場の日常

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初めに 初めに
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オーストラリアの児童生徒は、学校でどのような毎日を過ごしているのだろうか。それを描くことが、本章の役割である。幸いなことに筆者は、同国の教育現場に教員や現場教育省の職員として、あるいは保護者や外部からの研究者として、様々な立場で1980年代の前半より今日に至るまで身を置くことができた。ここでは、経験した中で「学校の様子」・「学習の姿勢」の2点についてまとめていく。 オーストラリアの児童生徒は、学校でどのような毎日を過ごしているのだろうか。それを描くことが、本章の役割である。幸いなことに筆者は、同国の教育現場に教員や現場教育省の職員として、あるいは保護者や外部からの研究者として、様々な立場で1980年代の前半より今日に至るまで身を置くことができた。ここでは、経験した中で「学校の様子」・「学習の姿勢」の2点についてまとめていく。
学校の様子 学校の様子
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【校則やルールについて】 【校則やルールについて】
オーストラリアの学校では制服や厳しい校則などはなく、自由であるこというイメージを持たれがちであるが、それは誤解である。特に私立の場合、多くの学校で制服が指定されているし、通学路が決められていることなどもある。ただ、それを実施する際の考え方には、かなりの相違があるかもしれない。端的に言うと「管理する」発想が日本よりはるかに少ないのである。集合の場で身長の順や男女別に整列している子どもたちは、まずいない。「前に倣え」や「回れ右」などの号令がかかることもまずない。10年近くのオーストラリア滞在を経て帰国した際の衝撃をいまでも忘れることができない。都心の駅で、春の遠足に向かう小学生の児童と出会ったときのことである。全員が同じ帽子と運動着を着用し、膝を抱えてプラットホームに座る児童を前にし、担任の教師が短く笛を吹いて、「班長は点呼して集合!」と指示していたのである。同様の風景は、オーストラリアではおそらく見られないであろう。「登校時には元気よく挨拶しましょう」、「スカートの丈は膝から何センチ以内と定めます」などの奨励や規則もオーストラリアの学校では想像できないことである。 オーストラリアの学校では制服や厳しい校則などはなく、自由であるこというイメージを持たれがちであるが、それは誤解である。特に私立の場合、多くの学校で制服が指定されているし、通学路が決められていることなどもある。ただ、それを実施する際の考え方には、かなりの相違があるかもしれない。端的に言うと「管理する」発想が日本よりはるかに少ないのである。集合の場で身長の順や男女別に整列している子どもたちは、まずいない。「前に倣え」や「回れ右」などの号令がかかることもまずない。10年近くのオーストラリア滞在を経て帰国した際の衝撃をいまでも忘れることができない。都心の駅で、春の遠足に向かう小学生の児童と出会ったときのことである。全員が同じ帽子と運動着を着用し、膝を抱えてプラットホームに座る児童を前にし、担任の教師が短く笛を吹いて、「班長は点呼して集合!」と指示していたのである。同様の風景は、オーストラリアではおそらく見られないであろう。「登校時には元気よく挨拶しましょう」、「スカートの丈は膝から何センチ以内と定めます」などの奨励や規則もオーストラリアの学校では想像できないことである。
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学習の姿勢 学習の姿勢
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【試験と入試】 【試験と入試】
- 中学校・高等学校へ進学すると、書くことの重要性はさらに強化される。では何をするのかと言うと、例えば歴史の学習がある。中学・高校の6年間を通じて、オーストラリアの歴史や世界史を通史的に学習する学校は少ない。代わりに、例えば第二次世界大戦のオーストラリアにおける労働党政権の功罪を考察せよ、などのテーマを立て、一学期をかけて学ぶのである。生徒は、図書館やインターネットで調べた資料や授業での討論に基づいてペーパーを仕上げていく。自分なりの問題意識を持って考え、まとめたもので評価されるべきだとの考え方が、根底にあるだろう。+中学校・高等学校へ進学すると、書くことの重要性はさらに強化される。では何をするのかと言うと、例えば歴史の学習がある。中学・高校の6年間を通じて、オーストラリアの歴史や世界史を通史的に学習する学校は少ない。代わりに、例えば第二次世界大戦のオーストラリアにおける労働党政権の功罪を考察せよ、などのテーマを立て、一学期をかけて学ぶのである。生徒は、図書館やインターネットで調べた資料や授業での討論に基づいてペーパーを仕上げていく。自分なりの問題意識を持って考え、まとめたもので評価されるべきだとの考え方が、根底にあるだろう。
 教育において書くことに最もウエイトを置かれているのは試験、特に大学への入学試験であろう。オーストラリアの試験は、極論すれば書くことに始まり書くことに終わる。いわゆる暗記ものの占める割合は、たいへん少ない。数学や実技試験を除くほとんどの試験が論文形式なのだが、大学入試ともなると、2~3時間かけてしっかり課題に取り組むことが求められる。また、その場で自由に書くわけではなく受験生は高校2年の頃から、読んでおくべき本、学習上カバーしておく事項などを細かく記したガイドラインを提示され、それに従って対策を積み重ねていく。入試ではそれらの学習に基づいて論述するので、付け焼き刃的な知識や設問事項の山を張ることなどは意味をなさない場合が多い。  教育において書くことに最もウエイトを置かれているのは試験、特に大学への入学試験であろう。オーストラリアの試験は、極論すれば書くことに始まり書くことに終わる。いわゆる暗記ものの占める割合は、たいへん少ない。数学や実技試験を除くほとんどの試験が論文形式なのだが、大学入試ともなると、2~3時間かけてしっかり課題に取り組むことが求められる。また、その場で自由に書くわけではなく受験生は高校2年の頃から、読んでおくべき本、学習上カバーしておく事項などを細かく記したガイドラインを提示され、それに従って対策を積み重ねていく。入試ではそれらの学習に基づいて論述するので、付け焼き刃的な知識や設問事項の山を張ることなどは意味をなさない場合が多い。
参考文献 参考文献
・オーストラリア・ニュージーランドの教育―グローバル社会を生き抜く力の育成に向けて 発行日:2014年1月10日 発行所:株式会社東信堂 編著者:青木麻衣子・佐藤博志 ・オーストラリア・ニュージーランドの教育―グローバル社会を生き抜く力の育成に向けて 発行日:2014年1月10日 発行所:株式会社東信堂 編著者:青木麻衣子・佐藤博志

2018年7月30日 (月) 01:14の版

初めに

オーストラリアの児童生徒は、学校でどのような毎日を過ごしているのだろうか。それを描くことが、本章の役割である。幸いなことに筆者は、同国の教育現場に教員や現場教育省の職員として、あるいは保護者や外部からの研究者として、様々な立場で1980年代の前半より今日に至るまで身を置くことができた。ここでは、経験した中で「学校の様子」・「学習の姿勢」の2点についてまとめていく。

学校の様子

【校則やルールについて】 オーストラリアの学校では制服や厳しい校則などはなく、自由であるこというイメージを持たれがちであるが、それは誤解である。特に私立の場合、多くの学校で制服が指定されているし、通学路が決められていることなどもある。ただ、それを実施する際の考え方には、かなりの相違があるかもしれない。端的に言うと「管理する」発想が日本よりはるかに少ないのである。集合の場で身長の順や男女別に整列している子どもたちは、まずいない。「前に倣え」や「回れ右」などの号令がかかることもまずない。10年近くのオーストラリア滞在を経て帰国した際の衝撃をいまでも忘れることができない。都心の駅で、春の遠足に向かう小学生の児童と出会ったときのことである。全員が同じ帽子と運動着を着用し、膝を抱えてプラットホームに座る児童を前にし、担任の教師が短く笛を吹いて、「班長は点呼して集合!」と指示していたのである。同様の風景は、オーストラリアではおそらく見られないであろう。「登校時には元気よく挨拶しましょう」、「スカートの丈は膝から何センチ以内と定めます」などの奨励や規則もオーストラリアの学校では想像できないことである。 では、オーストラリアの学校では児童生徒は自由気ままで何をしてもよいのかというと、そうではない。各学校に、授業中に私語から喫煙に至るまで厳格な規則があって、それらを被ると、程度に応じてディテンションルールで学習を命じられる。それでも態度が変わらない生徒たちは、複数回の警告後、転校や退学となる場合も珍しくはない。決められたルールを守らせたルールを守らせるための運用には、たいへん厳しいものがあった。 多くの細かいルールはあるが、違反に対しては教育的な指導を試みる日本と、数少ないルールを厳格に守らせ、違反者には処罰が明確に課せられるオーストラリア。もちろん、両者をあまりにも対照的に捉える議論は避けなければならないが、このアプローチの違いに、教育に関わる者への示唆が多く含まれるのではないかと思う。

学習の姿勢

【試験と入試】 中学校・高等学校へ進学すると、書くことの重要性はさらに強化される。では何をするのかと言うと、例えば歴史の学習がある。中学・高校の6年間を通じて、オーストラリアの歴史や世界史を通史的に学習する学校は少ない。代わりに、例えば第二次世界大戦のオーストラリアにおける労働党政権の功罪を考察せよ、などのテーマを立て、一学期をかけて学ぶのである。生徒は、図書館やインターネットで調べた資料や授業での討論に基づいてペーパーを仕上げていく。自分なりの問題意識を持って考え、まとめたもので評価されるべきだとの考え方が、根底にあるだろう。  教育において書くことに最もウエイトを置かれているのは試験、特に大学への入学試験であろう。オーストラリアの試験は、極論すれば書くことに始まり書くことに終わる。いわゆる暗記ものの占める割合は、たいへん少ない。数学や実技試験を除くほとんどの試験が論文形式なのだが、大学入試ともなると、2~3時間かけてしっかり課題に取り組むことが求められる。また、その場で自由に書くわけではなく受験生は高校2年の頃から、読んでおくべき本、学習上カバーしておく事項などを細かく記したガイドラインを提示され、それに従って対策を積み重ねていく。入試ではそれらの学習に基づいて論述するので、付け焼き刃的な知識や設問事項の山を張ることなどは意味をなさない場合が多い。

参考文献 ・オーストラリア・ニュージーランドの教育―グローバル社会を生き抜く力の育成に向けて 発行日:2014年1月10日 発行所:株式会社東信堂 編著者:青木麻衣子・佐藤博志


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