オイルショック8

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2019年1月15日 (火) 15:11の版

石油ショック、オイル=ショックともいう。1973年秋、第4次中東戦争の勃発に伴うアラブ産油国(OAPEC)の石油戦略により、石油価格が高騰し、世界経済に大きな衝撃を与えたこと。オイル=ショックは安価なアラブ原油に依存していた西側先進工業国の燃料不足、原料不足をもたらし、生産が低下して急激な物価上昇となった。この石油禁輸は1974年春には完全に撤廃され、石油供給に関する危機も急速に薄らいだ。それまで安価な中東の原油に依存していたアメリカ合衆国を初めとする先進工業国諸国は大きな打撃を受けた。また1971年のドルショックによって、アメリカ合衆国の経済力を背景としたブレトン=ウッズ体制が維持できなくなっていたこともあり、アメリカ合衆国の国際秩序は大きく転換することとなった。それは、1973年1月にイギリスなどがヨーロッパ共同体に参加して「拡大EC」となっていたが、さらに1975年に第1回の先進国首脳会議(サミット)が開催されたことにあらわれており、米ソ二大国を軸とした冷戦構造が転換するきっかけとなったと言うことができる。また日本は中東の石油にエネルギー源を依存する日本経済にも大きな打撃となり、これを契機として高度経済成長を終わらせ、低成長期にはいることとなった。 影響として、トイレットペーパー騒動がある。 国内ではマスコミも連日、石油資源の不足の危機を報道したので、11月には消費者がスーパーに押しかけてトイレットペーパーを買いだめするなどの大騒ぎとなった。実際には品不足ではなかったのだが、マスコミと口コミによる情報に多くの人が踊らされることになった。 (参考文献)

[1] 世界史の窓

編者:b.m


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