日英同盟

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2019年1月15日 (火) 17:49の版



概要  日英同盟とは、1902年に義和団事件をきっかけに日本とイギリスの間で生まれた同盟である。同盟の目的は、ロシアの南下政策に対抗するためであった。日英同盟を結ぶことにより、イギリスは、長年の孤立政策を捨てることになる。しかし、日英同盟は、1921年のワシントン会議で結ばれた4カ国条約で廃止されることになった。

背景・締結理由

1.世界規模でのイギリスとロシアの対立  19世紀のロシアは、年中使用できる凍らない港を確保するために、領土を南に広げようとしていた。そのために、イギリスとの対立を引き起こした。中国でも清の弱体化でイギリスとロシアの対立が目立ち始めた。 2.義和団事件   日清戦争で敗北し、弱さが発覚した清は、欧米列強により、反植民地化されていった。そのことに反発した民衆が、義和団を中心に外国を追い出す運動を始めた。列強の連合軍は、この動きを鎮圧し、北京に入城した。戦いの後、連合軍は引き上げたが、ロシア軍だけは満州にとどまり続けた。 3.ロシアの脅威  日清戦争に勝利した日本は、清から、遼東半島・台湾・などを得た。しかし、遼東半島を前から狙っていたロシアは面白くなく、日本に遼東半島を返還するようプレッシャーをかけた。(三国干渉)日本はこの圧力に屈し、遼東半島を返還した。 4.イギリスの考え  イギリスは、日清戦争に勝利した日本の軍事力に注目した。世界各地に植民地を持つイギリスは、1国だけですべてを守ることが難しくなっていた。特に、南アフリカで起きた、ボーア戦争に、多くの戦力を割かざるを得ず、東アジアは手薄な状態にあった。日本と手を組むメリットがあった。


日英同盟の内容

1.イギリスの中国での利権と日本の中国・韓国での利権を互いに認める。 2.条約を結んでいる国の一方が戦っている時は、もう一方は、中立を維持する。 3.他の国が戦いに加わった場合は、もう一方の国も参戦する。


日英同盟の効果

1.日露戦争でロシアの友好国が参戦しなかった 日露戦争で、日本とロシアが戦った時、イギリスは中立を保った。ロシアはフランスと仲が良かったが、フランスが戦争に参加すると、イギリスが、日本側につくのが明らかであったため、フランスは参戦しなかった。これにより、日本は、三国干渉のように、複数の国から圧を受けることを避けることが出来た。


日英同盟のその後    1902年に結ばれた日英同盟は、2度の改定を経て1923年まで継続した。  日露戦争後に、結ばれた、第二次日英同盟では、日本による韓国の保護化や適用範囲のインドまでの拡大が確認された。第三次日英同盟では、同盟の対象から、アメリカを外すことが決められた。  1914年に第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟を理由として、連合国の一員として参戦した。


日英同盟の廃棄・解消

 第一次世界大戦が終結すると、ヨーロッパでヴェルサイユ条約に基づくヴェルサイユ体制が始まった。一方、太平洋では、アメリカ主導で新しい体制作りが始まった。アメリカはワシントン会議を開いた。そこで、日本、アメリカ、フランス、イギリスよる4カ国条約が結ばれた。こうなると、日英同盟も不要のものとなる。こうして、1923年の4カ国条約締結により、日英同盟は廃棄された。


参考文献

「詳説日本史」  著作者 笹山晴生 佐藤信 他  発行所 株式会社 山川出版社          2016年 3月5日 発行

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