尖閣諸島6
出典: Jinkawiki
2019年1月18日 (金) 16:06の版
尖閣諸島は石垣島北方約130 – 150kmの、北緯25度43分 - 56分、東経123度27分 - 124度34分の海域に点在する島。尖閣諸島は魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬などで構成される。総面積は約5,56km2。戦前には日本人居住者がいた時期もあったが、1940年頃以降はいずれも無人島となっている。
尖閣問題の歴史
日本政府は、1895年1月、他の国の支配が及ぶ痕跡がないことを慎重に検討した上で、国際法上正当な手段で尖閣諸島を日本の領土に編入した。第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は日本の領土として扱われた上で、 沖縄の一部として米国の施政下におかれた。また、1972年の沖縄返還協定によって日本に施政権を返還する対象地域にも含まれているなど、尖閣諸島は戦後秩序と国際法の体系の中で一貫して日本領土として扱われてきた。中国政府は、1895年の尖閣諸島の日本領への編入から、東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘され、尖閣諸島に注目が集まった1970年代に至るまで、実に約75年もの間、日本による尖閣諸島に対する有効な支配に対し、一切の異議を唱えなかった。サンフランシスコ平和条約で尖閣諸島が日本の領土として確認されて米国の施政下に置かれ、その一部を米国が射爆撃場として使用しても、この間、尖閣諸島は、中国共産党の機関紙や中国の地図の中で、日本の領土として扱われてきた。
しかし、1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、1970年に台湾が領有権を主張しはじめ、これに中国も追随した。1969年および1970年に国連が行った海洋調査では、推定1095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると判明すると、1970年7月に台湾はアメリカ合衆国のパシフィック・ガルフ社に周辺海域の大陸棚探査権を与え領有権を主張した。2012年9月11日、日本政府は尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島の三島を国有化するため、20憶5000万の購入費を2012年度の予算予備費から支出することを決定し、同日中に埼玉県在住の地権者と売買契約を締結した。島の管理は海上保安庁が担当することにした。しかし、中国、台湾は尖閣諸島の国有化に強く反発した。 現在も政府レベルでは中国・台湾ともに話し合いでの問題解決を主張しているが、実際には相互に事前通報する取り決めが日中政府間で結ばれている排他的経済水域内はおろか、尖閣諸島周辺の日本の領海内で中国人民解放軍海軍の艦船による海洋調査が繰り返されていたり、台湾および香港の中国人活動家の領海侵犯を伴った接近が繰り返されている。このような行動に対して日本政府はことあるごとに抗議しており、台湾側は民間抗議船の出航を止めたこともある。しかし中国側は日本政府の抗議を無視している。なお、日本は実力行使に訴えたことはないが、偶発的事故によって台湾の民間抗議船を沈没させる事故も発生している。
アメリカの対応
2016年、アメリカ太平洋軍のハリス司令官は「尖閣諸島の主権については米国は特定の立場をとらない」と中立的な立場をとったが、「中国からの攻撃があれば、我々は必ず防衛する」と米軍の軍事介入を表明した。アメリカ政府・軍関係者が尖閣諸島について中国を名指しで防衛義務を述べることは異例であるとされている。
参考文献
読売新聞政治部 「-基礎からわかるー日本の領土・海洋問題」 2012
ロバート・Ⅾ・エルドリッヂ 「尖閣問題の起源」 名古屋大学出版会 2015