神戸製鋼
出典: Jinkawiki
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2019年1月20日 (日) 00:40の版
1905年9月、合名会社鈴木商店が神戸・脇浜にあった小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所として創業。以来、1926年には日本初のセメントプラントを完成。さらに国産1号機の電気ショベルの製造や、アルミ・銅製品や溶接材料の生産を開始するなど、メーカーとしての基盤を着実に固めていった。しかし、太平洋戦争が起こり、1945年には空襲により全国の工場が大きな被害を受けた。太平洋戦争が終戦し、神戸製鋼所は戦後いち早く鉄鋼の生産を再開した。1955年には、国内初の金属チタンの生産を開始。チタン工業化のパイオニアとしての地位を築きあげた。1959年には神戸製鉄所の第1号高炉に火入れを行い、銑鋼一貫メーカーの地位を確立した。1970年には加古川製鉄所を完成させ、線材・棒鋼をはじめとする幅広いメニューを揃える事が可能となった。その後日本は高度成長に入り、神戸製鋼所は時代と共に、鉄鋼・非鉄と機械の複合経営の基盤が築きあげることが出来た。その後、1960年に初の海外拠点となるニューヨーク事務所を開設。1962年には現在のバングラディシュに日本企業で初の肥料プラントを建設するなど、神戸製鋼所は1960年代から本格的な海外進出を果たした。しかし、1995年1月、阪神・淡路大震災が発生。神戸本社は倒壊し、鉄鋼業の生命線となる高炉が停止するなど、甚大な被害を受けた。復興に力を入れていく一方で、海外拠点をさらに拡大した。その後国内で2002年には神鋼神戸発電所第1号機、2004年には第2号機が完成し、国内最大規模となる電力卸供給事業を開始した。そして、現代では電力自由化に伴って、鉄鋼大手各社が発電事業に注力している。現代の神戸鉄鋼はこの電力自由化の流れに乗り、電力販売に取り組んでいる企業になっている。