エスペラント語15

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エスペラントと日本文学をつないだ人物として、宮沢賢治がその一人として挙げられる。たとえば『ポラーノの広場』という本に登場するモリーオ、センダード、イーハトーヴォなどの地名は、盛岡、仙台、岩手といった実在の地名をエスペラント風にアレンジしたものだとも言われている(諸説あり)。宮沢賢治本人はエスペラントを実用レベルまでマスターできなかったようだが、『新行本 宮澤賢治全集』第6巻には『エスペラント詩稿』が収録されており、自作の詩や短歌をエスペラントに翻訳しようとした形跡が残っている。このほかにも、秋田雨雀や今和次郎といったさまざまな方々によってエスペラントが活用され、未来に活きるようにと託していったという歴史が残っている。 エスペラントと日本文学をつないだ人物として、宮沢賢治がその一人として挙げられる。たとえば『ポラーノの広場』という本に登場するモリーオ、センダード、イーハトーヴォなどの地名は、盛岡、仙台、岩手といった実在の地名をエスペラント風にアレンジしたものだとも言われている(諸説あり)。宮沢賢治本人はエスペラントを実用レベルまでマスターできなかったようだが、『新行本 宮澤賢治全集』第6巻には『エスペラント詩稿』が収録されており、自作の詩や短歌をエスペラントに翻訳しようとした形跡が残っている。このほかにも、秋田雨雀や今和次郎といったさまざまな方々によってエスペラントが活用され、未来に活きるようにと託していったという歴史が残っている。
-== 最後に ==+== 参考文献 ==
-人権侵害などの問題は今も存在しており、この世界にはまだまだ苦しんでいる人々がたくさんいる。多くの学者や人物によって今日までつながれてきたこのエスペラント語が、もっと多くの人に知れ渡り、人権問題に苦しむ人を少しでも助けることのできるようなものにしていくことが大切である。そのためにどのような対策や企画等をするべきか、未来にどのような形で残していくべきなのかを考えていくことが必要であり、大事な課題なのである。+
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地球ことば村(2019/01/10 閲覧) 地球ことば村(2019/01/10 閲覧)

2020年1月18日 (土) 23:55の版

目次

エスペラント語とは

エスペラント語とは国際補助語の一つであり、非常に簡略な文法を持っている覚えやすく使いやすい人工言語である。また、母語や国語の違った人々がお互いに意思疎通を図るために使われている非自然言語とも言われている。エスペラント語はヨーロッパの言語を元にしているが、発音や文法は規則的であり、日本人でも学びやすい言語となっている。民族の言語や文化を歴史的遺産として尊重し、大切にすると同時に、それぞれの言語や文化の橋渡しの役目を果たすことを目的としているのがこの言語の特徴であると言える。

エスペラント語の歴史

19世紀末、ポーランドのユダヤ人の家庭にて育った眼科のお医者さんで、言語学者でもあったラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフという人がいた。彼が生きた時代も世界のさまざまな地域で絶えることなく抑圧と人権侵害が巻き起こる戦争が起きた。そんな中、彼は戦争を避け平和を長続きさせるためには多くの人々に共通する言語が必要であるということ、それを用いて人々が国境を越えて話し合い理解しあうことが戦争を避けるために必要であると考えた。そこで、人々の国語や母語を超えた共通の言葉を作ろうと決心したのである。そして、言葉が異なる民族同士が平等な立場で使える共通語エスペラントを創案し、1887年に発表したのである。 その後、1905年にフランスのブローニュ・シュル・メールにて第一回エスぺランティスト世界大会が開催され、日本ではその翌年1906年、日本エスペラント協会JFAが創立された。1930年代には甚だしい官憲の弾圧があったりと、エスペラント運動は決して簡単に反映されたわけではなかったが、第二次世界大戦後もこの運動は発展し続け、今日では日本エスぺラント協会によって毎年大会が開催されるほどになった。

日本エスペラント協会とは

国際共通語エスペラントの普及発展のために日本を代表して活動している日本エスペラント協会は、1919年に日本エスペラント学会として創立された。その後、1926年に財団法人として認可、2012年に公益法人制度改革を機に一般財団法人日本エスペラント協会として改称された。エスペラント普及発展によって、国際相互理解を促進し、エスペラントを媒介とする文化を発展させ、そしてエスペラントに関する学術を進行することを目的として活動している。また今では、日本エスペラント大会を開催するようになっており、大会テーマについての講演会やコンサートなどのさまざまなプログラムが行われている。

エスペラントと宮沢賢治

エスペラントと日本文学をつないだ人物として、宮沢賢治がその一人として挙げられる。たとえば『ポラーノの広場』という本に登場するモリーオ、センダード、イーハトーヴォなどの地名は、盛岡、仙台、岩手といった実在の地名をエスペラント風にアレンジしたものだとも言われている(諸説あり)。宮沢賢治本人はエスペラントを実用レベルまでマスターできなかったようだが、『新行本 宮澤賢治全集』第6巻には『エスペラント詩稿』が収録されており、自作の詩や短歌をエスペラントに翻訳しようとした形跡が残っている。このほかにも、秋田雨雀や今和次郎といったさまざまな方々によってエスペラントが活用され、未来に活きるようにと託していったという歴史が残っている。

参考文献

地球ことば村(2019/01/10 閲覧) http://www.chikyukotobamura.org/muse/low_esperanto.html

日本エスペラント協会(2019/01/10 閲覧) https://www.jei.or.jp/

P+D MAGAZINE(2019/01/10 閲覧) https://pdmagazine.jp/background/esperanto-726/


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