脳死3

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【脳死とは】 【脳死とは】
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 人は三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔拡大によって判定されるいわゆる通常の死)をもって死んだと定義されているが、この中で心停止のみが確認されていない状態が脳死であり、その中でも様々な種類がある。まず脳には①知覚や記憶、運動の命令などの高度な心の動きをつかさどる大脳、②運動や姿勢の調整を行う小脳、③呼吸、循環機能の調整や意識の伝達など、生きていくために必要な動きをつかさどる脳幹の3種類の部分がある。脳死にはこれら3部分が全て機能しなくなった「全脳死」と脳幹の部分だけ機能しなくなった「脳幹死」があるが、脳幹死の場合もいずれは大脳と小脳も機能しなくなり、やがて全脳死に至る。また、自力で呼吸することはできず、回復の見込みもない状態のことを脳の不可逆的停止と呼び、これは法律で定められた基準(後述)によって判定される。  人は三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔拡大によって判定されるいわゆる通常の死)をもって死んだと定義されているが、この中で心停止のみが確認されていない状態が脳死であり、その中でも様々な種類がある。まず脳には①知覚や記憶、運動の命令などの高度な心の動きをつかさどる大脳、②運動や姿勢の調整を行う小脳、③呼吸、循環機能の調整や意識の伝達など、生きていくために必要な動きをつかさどる脳幹の3種類の部分がある。脳死にはこれら3部分が全て機能しなくなった「全脳死」と脳幹の部分だけ機能しなくなった「脳幹死」があるが、脳幹死の場合もいずれは大脳と小脳も機能しなくなり、やがて全脳死に至る。また、自力で呼吸することはできず、回復の見込みもない状態のことを脳の不可逆的停止と呼び、これは法律で定められた基準(後述)によって判定される。

2020年1月30日 (木) 09:40の版

【脳死とは】  人は三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔拡大によって判定されるいわゆる通常の死)をもって死んだと定義されているが、この中で心停止のみが確認されていない状態が脳死であり、その中でも様々な種類がある。まず脳には①知覚や記憶、運動の命令などの高度な心の動きをつかさどる大脳、②運動や姿勢の調整を行う小脳、③呼吸、循環機能の調整や意識の伝達など、生きていくために必要な動きをつかさどる脳幹の3種類の部分がある。脳死にはこれら3部分が全て機能しなくなった「全脳死」と脳幹の部分だけ機能しなくなった「脳幹死」があるが、脳幹死の場合もいずれは大脳と小脳も機能しなくなり、やがて全脳死に至る。また、自力で呼吸することはできず、回復の見込みもない状態のことを脳の不可逆的停止と呼び、これは法律で定められた基準(後述)によって判定される。

【脳死=死の概念の登場】

 脳死が初めて人の死とみなされたのは1968年のハーバード大学特別委員会の発表に遡る。それまで不可逆性昏睡という名で理解されていた、人工呼吸器をつけ意識のない状態で心停止までの数日を待つ患者たちは、この発表以降「脳死」という新しい死の基準によって死者とみなされることになった。「脳死」という概念が必要になった理由は、臓器移植のためである。臓器移植を行うには、他の健康な臓器が必要となり、当時その数は圧倒的に足りなかった。当事者たちは明言をしていないが、医療技術の発展を各国が競い合っていた当時、この発表の前年に南アメリカで心臓移植が行われ、米国でもこれを追う時期であったことからこれは間違いないと考えられる。つまり脳死と臓器移植は非常に強く関連しており、臓器移植の是非には必然的に「脳死=死」の考え方の是非も問われるようになっている。

【日本の現状】    日本で初めて「脳死=死」という考え方が導入されたのは、1997年10月16日、「臓器移植法」の施行による。これを境に脳死後の心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸などの提供が可能となった。しかし、この法律は、脳死後の臓器移植に本人による意思表示と家族の承諾を必要としており、この意思表示は民法上の遺言可能年齢に準じて15歳以上を有効としていたため、15歳未満の人からの脳死臓器提供はできなかった。したがって当時は、小さな臓器が必要な体の小さな子供たちへの心臓や肺の移植は不可能で、多額の資金を集めて海外に渡航移植をする子供が後を絶たなかった。 2017年に7月17日に改正臓器移植法が全面施行されてからは、本人の意思が不明な場合には、家族の承諾で臓器が提供できることになり、これによって15歳未満の人からの脳死での臓器提供が可能となった。現在では「命のリレー」という形でメディアでも大きく臓器移植の事例は取り上げられている。この一連の臓器移植を行いやすくなるような法律改正から、日本が「脳死=死」という考え方を徐々に受け入れ始めさらに推進しようとする立場にあることが分かる。

【脳死=死の考え方の是非】

 脳死と臓器移植が非常に強い関わりを持っている以上、臓器移植の是非の議論には常に「脳死=死」の考え方に対する議論もつきまとう。「脳死=死」の概念に賛成する人の中には臓器移植賛成派が多くみられる。理由としては、脳死を死と認めることによってドナーの数が増え移植がより活発になり、移植を待つレシピエントがその分救われるからである。つまり健康な臓器は助かる見込みのある方に使われるべきだということだ。また、人工の医療技術のよって生かされている状態は人間の本来あるべき姿ではないと主張している。反対に脳死を死ではないと考える人には臓器移植反対派が多く、その意見は主に生命の倫理観に訴えるものが多い。臓器移植にはドナーとレシピエントの関係が生まれる以上、レシピエント側は誰かの脳死を望むことになる。それは致し方のないことだが、本来そういった考え方は望ましいものではない。そのような考え方を生み出してしまうのならば、臓器移植は必要のない技術であり、それに伴い「脳死=死」という概念自体不要なものであるというものだ。また、脳死判定基準について異議を唱える者もいる。脳死は必要な知識と経験をもつ移植に無関係の2人以上の医師のよって、①深い昏睡、②瞳孔の散大と固定、③脳幹反射の消失、④平坦な脳波、⑤自発呼吸の停止の5項目を行い、6時間以上(小児は脳のダメージに対する回復力が高いので24時間以上)経過した後に同じ一連の検査(2回目)をすることで、状態が変化せず、不可逆的であることが確認されて初めて診断される。ところが、脳死といわれる状態からなぜ心停止が起こるのかはいまもって究明されていない。米国の有名な倫理研究所からも、脳死の概念(全脳機能の不可逆的停止)を証明するような判断基準はないことが挙げられていることから、「脳死=死」の概念の反対派にとって脳死を死と豪語することは医学的・良心的に反しているということである。「脳死=死」の考え方は立場によって意見が変わるのでどれが正しいとは断定できない。そこで、どちらかの考え方に偏るのではなく、様々な視点に立ち、脳死について考えるべきである。

【引用参考文献】

① 近藤誠 中野翠 宮崎哲弥 吉本隆明ほか『私は臓器を提供しない』 洋泉社 2000年 p42,49-50,111-112,143参照

② 日本臓器移植ネットワーク「臓器移植法」https://www.jotnw.or.jp>studying 1月28日閲覧

③ 日本臓器移植ネットワーク「脳死判定」https://www.jotnw.or.jp>studying 1月28日閲覧


編集者 新川


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