ヨーロッパの浮浪者
出典: Jinkawiki
2020年1月30日 (木) 14:32の版
目次 |
浮浪者とは
浮浪者とは、定まった住居や職業を持たずにあちこちさまよい歩くものをいう。この浮浪者処遇の変遷ついて、ヨーロッパの時代背景や労働観に触れながら見ていく。
神話のヨーロッパ浮浪者
神話の時代では労働は神が支配するものであり、神が創造した自然に手を加える行為とされていた。労働は神から資源を奪った窃盗の罪だったのだ。しかし、農業だけは自然現象に左右されやすいため労働とはみなされていなかった。
古代のヨーロッパ浮浪者
古代ギリシア・ローマの時代になると、奴隷と奴隷所有者の階層社会が生まれた。奴隷所有者は農業・商工業は経営したが、肉体労働は奴隷に行わせていた。奴隷所有者が肉体労働を行わない理由は、そもそも労働は人間本来の活動ではないと考えていたからだ。そのため、貨殖術は外国人に行わせようという考えも持っていた。労働や商業を必要と認めながらも活動を貶めることで市民を倫理的に高め、少数の支配を正当化していた。ここに身分の差が拡大していった。
中世のヨーロッパ浮浪者
中世初期には、貧乏は罪悪とはされていなかった。また、ダンテが「怠惰の罪」と唱えていたが、この怠惰とは「祈らない」ことを意味していたため、「働かない」ことが大きな罪ではなかった。中世においては、農業生産力の向上と農業を支配権に置く教会の権威上昇による農業の地位が高められた。その結果、農業以外の労働は非難されていた。さらに、ほとんどの労働を名指しで非難しており、村落共同体を解体させかねない貨幣経済を抑えようとしていた。その後、一律に非難されてきた世俗的職業はほとんどが承認されていった。軽蔑と劣等の労働が「功績」へとなる。都市に住居を持たない浮浪者も多く増え、社会的流動性は大きくなり、都市の中産層を構成していた親方・職人も病や事故など偶発的な要因で家族ごと貧困に陥っていく者も増えていった。財産がある者は働かなくてもよいとされていた。修道院が「貧民の施しのため」という名目で多額の資産を管理していたため、宗教改革が起きた。ここでカトリックとプロテスタントに救済観に対する新たなが生まれる。カトリックは、働かない浮浪者は救済する正当性が薄れると考え、労働能力の有無によって処遇を変えた。プロテスタントも「働くことも祈ることだ」とした。ルターは共同金庫による救済を主張し、浮浪者を非難した。救済することができるのにもかかわらず、救済しないものに対しても、神の義務に反するという考えが大きく強くなっていった。さらに、従来施しによって生計を立てていた浮浪者は修道院が改革で解体したため、救済施設を失ってしまった。
エリザベス治世下のヨーロッパ浮浪者
浮浪者に対する処遇が厳しくなってきたころ、エリザベス治世下でエリザベス救貧法がだされ、貧民監督官に救貧税の課税と分配、浮浪者の就業の責任を持たせた。ヘンリー8世治世下では7万2千人の浮浪者が処刑されたが、エリザベスの時代にも300~400人の浮浪者が処刑されていた。労働者法などもできたが、浮浪者が減ることはなかった。浮浪者を処罰するかしないかには提供可能な労働力があるかどうかが大きく関わっていた。この頃、自発的宗教団体が生まれるようになり、その中でも聖マルティヌス兄弟会は救貧活動を主な務めとしていた。また、貧困に起因する社会不安を抑制し、貧民の社会的規制という近世以降国家によって行われていく社会政策の萌芽をみせた。福祉施設も多く誕生し、施療院では「キリストの貧者」と呼ばれた社会的貧者を保護した。こうした施療院はハンセン病施療院を除いて「貧者」とされた多様な弱者を受け入れる多義的な施設であった。宗教改革など大きな社会変動のあとには、受け入れの対象を特化していく傾向がみられた。 修道院解体後は、ハウス・オブ・コレクションの設置が浮浪者に大きな影響を及ぼした。これは、オランダのアムステルダムやイギリスのロンドンをはじめ多くの都市に設置された怠惰な人々を働かせるため、及び貧民や病人を宿泊させるための施設だった。ワークハウスやブライドウェル・ホスピタルの誕生により、1576年、浮浪者の中でも労働能力があり働く意志のある者はワークハウスに、労働能力がありながら働く意志がない者はハウス・オブ・コレクションに、労働能力がない者は貧民院に収容された。 エリザベス救貧法がでて以降は様々な浮浪者や貧民に対しての法律ができた。1662年には、年居住地法により労働者の移動に関する条件を法的に確定し、貧民になる可能性が高い者は以前居住していた教区に強制送還することを可能にした。また、1772年にワークハウスの環境を劣悪にすることで救済を受けることを断念させるワークハウス・テスト法がだされた。その後も、ギルバード法やスピーナムランド法が誕生し、ワークハウス・テスト法を批判したり、救貧税の支給をしたりした。さらに、産業革命や工場法などの成立により新救貧法が成立した。新救貧法は「イングランドとウェールズにおける貧困者に関する法律の改正と運営のための法律」として生まれた。救済を受ける権利も生まれ、法的権利となった。この権利の救済の適当性及び十分性の判断は基本的に申請者に委ねられた。申請者を死に追い込んだ際は故殺とされた。
現在のヨーロッパ浮浪者
現在では、救貧法は廃止されている。しかし、イギリスでは住宅給付制度や労働年金省の管轄など公的支援と民間支援が数多く生まれている。また、フランスではベソン法や半排除法などの処遇が生まれている。ロシアなどでは具体的な行政支援が進んでおらず、ヨーロッパ内でも浮浪者処遇の変化が目立つ。
参考文献
中世ヨーロッパの暮らし(2015)堀越宏一・河原温著 英国貴族の暮らし(2009)田中亮三