サライェボ事件
出典: Jinkawiki
2020年1月30日 (木) 15:45の版
サライェヴォ事件
1914年6月28日、オーストリア皇位継承者夫妻がサライェヴォでセルビア人に殺害された事件で第一次世界大戦の引き金となった。 オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナント大公とその妻ソフィーは、当時オーストリアに併合されていたサライェヴォで軍隊の閲兵を行うこととなり、オープンカーに並んで会堂に到着した。大公は妻のもてなしに腹を立て、すぐ町から出ていこうと決心したが、運転手が向きを変えるのを間違い、車を止めてバックする。その時、ガブリロ=プリンチプ(セルビア人)は、自分の前で自動車が止まったのに驚いた。彼は自動車の踏板にのり、大公を殺し、二発目で前方座席の護衛を狙ったが、それて大公夫人に命中した。夫人もほとんど即死であった。 20歳のプリンチプは、セルビアがハプスブルク家に隷属させられていることに憤慨して、仲間の6人の高校生と大公を撃とうと決いする。秘密結社から粗末な武器を受け取っていた。彼の仲間が行進中の大公を狙撃しようとしたがいずれも失敗し、偶然彼の前で車が止まり、彼が実行者となった。
背景
サライエヴォでのオーストリア皇位継承者暗殺はプリンツィプという青年が犯人であったが、かれの背後には「大セルビア主義」を掲げる民族主義団体「黒手組」がいた。この事件は、ゲルマン民族とスラブ民族の民族的対立感情と、それを利用して帝国主義的勢力拡大を図ろうとしていたオーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国の対立であるバルカン問題の帰結であった。「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカン半島で、点火された火が、全ヨーロッパに燃え広がった。
影響
フランツ=フェルナンド夫妻の暗殺の知ったオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ=ヨーゼフ1世とその政府は7月28日、セルビアに宣戦布告した。ここからロシア、ドイツ、フランスの参戦が起こり、第一次世界大戦が始まった。 ==参考文献==https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5817