ヴェニスの商人3

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ユダヤ人に対する憎しみはその当時も根強く残っていたことがこの作品からうかがえる。しかもキリスト教徒からのセリフの中ではシャイロックは名前では呼ばれず、単に「ユダヤ人」と呼ばれていることが多かった。そのことからも、自然と差別意識が根強く形成されているのではないかという見方もまたある。 ユダヤ人に対する憎しみはその当時も根強く残っていたことがこの作品からうかがえる。しかもキリスト教徒からのセリフの中ではシャイロックは名前では呼ばれず、単に「ユダヤ人」と呼ばれていることが多かった。そのことからも、自然と差別意識が根強く形成されているのではないかという見方もまたある。
-最後のシーンで、シャイロックは法廷で事実上負けて、しかもキリスト教改宗という惨めな仕打ちを受けることになるが、そこから、憐れで弱い運命をたどらなければならないのかと気の毒に思う声もあるといわれる。見方によってはユダヤ人差別を色濃く描いた作品だと解釈する人もいれば、キリスト教正義論を強調する作品だと解釈する人もまたいるのだ。+最後のシーンで、シャイロックは法廷で事実上負けて、しかもキリスト教改宗という惨めな仕打ちを受けることになるが、そこから、憐れで弱い運命をたどらなければならないのかと気の毒に思う声もあるといわれる。見方によってはユダヤ人差別を色濃く描いた作品だと解釈する人もいれば、キリスト教正義論を強調する作品だと解釈する人もまたいる。そこから見方が変わるだけでも、また映画の味付けによっても作品のイメージはがらりと変わる可能性が高いと考えられる。

2008年8月4日 (月) 13:43の版

『ヴェニスの商人』(ヴぇにすのしょうにん、THE MERCHANT OF VENICE)はウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare,[1564-1616])の喜劇用の戯曲である。この作品は1596年(彼が32歳のとき)に執筆・上演された。


目次

登場人物

アントーニオ:ヴェニスの貿易商人 バサーニオ:アントーニオの友人でありポーシャの求婚者 ポーシャ:ベルモントの貴婦人(のちバサーニオの妻となる) ネリッサ:ポーシャの侍女 シャイロック:ユダヤ人の高利貸し業

その他多数

内容

時は16世紀のおわりかけ、舞台はイタリアのヴェニス(ヴェネツィア)。 ベルモントの裕福な貴婦人ポーシャは、容姿もこの上ない美人であり美徳の持ち主である。そのためポーシャの元には連日多くの名だたる貴族がポーシャとの結婚を求めやってくる。ヴェニスの若い貴族バサーニオもその中の一人。しかし、彼は財力がおぼつかないうえに遊びすぎたために借金だらけ。そんな状況では他の求婚者たちと競い合うことさえできないと考えたバサーニオは友人である貿易商のアントーニオに借金を申し込む。しかしながら、アントーニオの財産はすべて海に出ており、手許にはお金もなければそれに代えられるだけの品物も無い。あるのは彼には財力があるという信頼のある顔だけ。そこで、アントーニオは、高利貸し業を営むユダヤ人のシャイロックに3000ダカット(ダカットは金貨であるため相当の大金だと考えられる)を借金する。しかも担保はアントーニオ自身の肉1ポンド。シャイロックは普段からアントーニオからつばを吐かれたり蹴られたり罵られていたゆえに恨みをもっていたため、この条件は復讐のチャンスだった。この無理難題な条件を与えられたアントーニオだが、彼の頭の中では返済期限1ヶ月前の段階で彼自身の商船が帰ることになり、余裕で返せる構想をつくっていた。ところが、アントーニオのもつ高価な積荷を載せた商船が帰国中に嵐に遭ったあげくに難破してしまったことが知らされ、期限内に返済できないことがわかる。全財産を失ったアントニーオにシャイロックはあくまでも証文どおりでの返済を迫る。そして返済期限が過ぎたとき、シャイロックは証文どおりにアントーニオの肉1ポンドを取ることを法のもとで認めさせるため、アントーニオを法廷にかける。

一方、ポーシャとの結婚を果たすためベルモントに向かったバサーニオは、結婚するための課題に取り組む。その課題は金・銀・鉛それぞれ3つの小箱から正しい小箱を選び取るとのこと。バサーニオは見事正しい小箱を選び取り、めでたくポーシャとの結婚を果たした。その際ポーシャから結婚指輪を渡され、一生はずさないことを誓った。その後アントーニオからの手紙により彼の危機を知る。アントーニオの身の危険を知ったバサーニオはすかさずポーシャからお金を用意してもらい、ヴェニスへと戻る。それと同時にポーシャも家来のネリッサと共にバサーニオには内緒でヴェニスに向かう。

ヴェニスに戻ったバサーニオは、法廷でシャイロックに返金額を上乗せした6000ダカットを持参し、お金での返済を認めるよう要求した。しかし、シャイロックはあくまでも証文どおりだと断固拒否する。そこに判事に変装したポーシャがあらわれる(バサーニオたちは気づかない)。ポーシャはシャイロックにポーシャの証文どおりの実行を認めさせるが、血は一滴も流してはならないとの無理難題を押し付ける。それに対して仕方なくあきらめたシャイロックはお金での返済を要求するのだが、ポーシャは認めずに、さらに彼をヴェニス市民の命を奪おうとした極悪人だとして有罪にし、彼の全財産を取り上げる(半分は国庫、もう半分はアントーニオ)判決を下す。それは勘弁してくれと懇願したシャイロックにアントーニオはシャイロックの財産没収をやめてもらうかわりにシャイロック自身がキリスト教に改宗するよう彼に求め、シャイロックは泣く泣くキリスト教への改宗を余儀なくされてしまう。

その後バサーニオらは判事になりすましていることに気づかずポーシャにお礼を申し上げる。その際、ポーシャは謝礼としてバサーニオの結婚指輪を求めるが、最初は拒否する。しかし、ポーシャの執拗な要求により渡すことを余儀なくされてしまう。それからバサーニオらはベルモントに戻る。そこで、バサーニオはポーシャに結婚指輪がないことについてを責め立てられる。バサーニオは謝って許してもらうように願い出た。最初ポーシャは拒否したのだが、アントーニオの働きかけで、指輪をバサーニオに渡し、事の真相を語り始め、バサーニオに永遠の愛を誓わさせたのだった。


ヴェニスの商人から見る当時のユダヤ人差別

16世紀のヨーロッパ社会では、ユダヤ人に対する排斥が自由主義の都市国家ヴェニスでも行われていた。彼らの居住は塀のある工場跡かゲットー(ユダヤ人集団隔離居住区)という劣悪な環境に押し込められていた。夜はキリスト教徒によってその門を施錠されて、そこにはキリスト教徒による番もおかれた。日中ゲットーを出るユダヤ人は、彼らの印として「赤い帽子」の着用を強制的に義務づけられていた。ユダヤ人は土地の所有を禁じられている。一部のユダヤ人は金貸し(高利貸し業)を営んでいたが、ほとんどのユダヤ人はそれはキリスト教の教えに反することだとされていた。教養あるヴェニス人は知らぬふりをしたが、ユダヤ人をは彼らを許さず、蔑み、バッシングを与え続けた。映画(※1)の冒頭にあるセリフを参考にする。

「高潔な魂をもて!鐘を貸すのに利息を取るな!その手を悪行に染めることなく、人として分別をもて!神の法則に従い、その教えを守るものなら生きる資格もあるだろう。だが金貸しを営むものを生かしていいのか?恥ずべきことをするものを神はお許しにならない!」

また、シャイロックはキリスト教徒への不満をぶちまけているシーンがたびたび出てくる。ここではユダヤ人もキリスト教徒もなんら違いはないのにどうして迫害を受けなければならないのかという訴えがある。その一節。 「・・・ユダヤ人には目がないのか。ユダヤ人には手がないのか。胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。四肢五体も、感覚も、感情も、激情もないというのか。同じものを食い、同じ刃物で傷つき、同じ病で苦しみ、同じ手当てで治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでも言うのか。何もかにもキリスト教徒とそっくり同じではないか・・・・・・(省略)。」(※2)

また、アントーニオは法廷で必死にかばうバサーニオに対してこのようなことを述べている。このセリフはかねてからのユダヤ人に対する根深い差別意識があるのだといえよう。 「頼む、バサーニオ、うやめてくれ。相手はユダヤ人、議論などして何になる。それくらいなら渚に立ち、満ちてくる潮にむかって、引いてくれと頼むほうがまだましだろう。狼にむかって、なぜ子羊を取って食うのか、なぜ母親の羊を嘆かせるのか、問いつめるほうがまだましのはず。山の頂に立つ松の木が、大空を吹き渡る風に梢を逆立てているというのに、枝を揺するのをやめよ、ザワザワ音を立てるなと命ずるのも同じこと。あのユダヤ人の固い心を和らげようとするくらいなら、どんな固いものでも打ち砕くことができよう。彼の心ほど固い物など、どこにもあろうはずがないのだから。・・・」(※2)

ヴェニスの商人における解釈をめぐって

この作品では単にユダヤ人差別を強調しているのではなく、キリスト教の優越性に疑問を呈しているものだと考えられる。当時のヨーロッパ社会はキリスト教による支配が大きかったゆえに、異人は排斥の対象になっていた。なかでも、ユダヤ人に関しては、昔に我々キリスト教徒を殺した民族であるとみなしていたため ユダヤ人に対する憎しみはその当時も根強く残っていたことがこの作品からうかがえる。しかもキリスト教徒からのセリフの中ではシャイロックは名前では呼ばれず、単に「ユダヤ人」と呼ばれていることが多かった。そのことからも、自然と差別意識が根強く形成されているのではないかという見方もまたある。

最後のシーンで、シャイロックは法廷で事実上負けて、しかもキリスト教改宗という惨めな仕打ちを受けることになるが、そこから、憐れで弱い運命をたどらなければならないのかと気の毒に思う声もあるといわれる。見方によってはユダヤ人差別を色濃く描いた作品だと解釈する人もいれば、キリスト教正義論を強調する作品だと解釈する人もまたいる。そこから見方が変わるだけでも、また映画の味付けによっても作品のイメージはがらりと変わる可能性が高いと考えられる。


(※1)映画「ヴェニスの商人」(マイケル・ラドフォード監督、アル・パチーノ出演) 2004上映

(※2)安西徹雄訳 シェイクスピア『ヴェニスの商人』光文社(2007年)


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