マニ教
出典: Jinkawiki
(版間での差分)
2020年1月31日 (金) 15:41の版
歴史
3世紀頃ササン朝ペルシャの時代にバビロニアで生まれたイラン人の教祖マニがゾロアスター教をもとに、キリスト教や仏教の要素も取り入れ折衷した新宗教。24歳の頃精霊の啓示を受けたマニが預言者として開教。マニはシャープール一世により保護されたがバフラーム1世によって処刑された。ゾロアスター教を国教とするササン朝のもとでは、その後もマニ教は厳しく弾圧された。
教義
ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、仏教など様々な思想を取り入れたが、根幹は悪と善を分けるグノーシス主義の二元論であった。 戒律は禁欲主義的であり性交や結婚を忌避し、貞潔を守る。採食主義を守る。無所有の清貧を守るといったものであった。スペインや北アフリカ、中国に至るまで広く伝わったが他の宗教が台頭してくると世界各地から迫害を受けた。
教典
世界宗教の教祖としては珍しくマニが自ら教典を書き残したが多くは散逸した。
参考文献
マニ教とゾロアスター教 山本由美子 山川出版