ガーセム・ソレイマーニー
出典: Jinkawiki
最新版
概説 ・イランの軍人。イスラム革命防衛隊の一部門で、イラン国外でも特殊作戦を行うゴドス部隊の司令官を務めた。 日本語メディアではガセム・ソレイマニ、カセム・ソレイマニなどと表記されることもある。 経歴 ・1957年3月11日、ケルマーン州ラーボル郡カナーテ・マレク村出身。青年期は水道局の請負人として働いた。イラン革命後に設立されたイスラム革命防衛隊へ1979年に入隊した。 入隊後、軍事訓練はほとんど受けないままに出世を重ね、軍人としてのキャリアの初期に西アーザルバーイジャーン州におけるクルド人独立勢力の鎮圧に参加した。イラン・イラク戦争の際は戦場に加わり、指揮官として参加した。従軍後すぐにその勇敢さを認められ、20代で師団長となりほとんどの戦線に参加した。イラン・イラク戦争後の1990年代はケルマーン州のイラン革命防衛隊の司令官に就任し、軍事経験を生かして麻薬の密売阻止に成果を上げた。その後、2010年代にはサウジアラビアの駐米大使暗殺未遂事件への関与やイラク軍がISILへ奪還作戦を行った際は現地入りし、地元民兵組織の作戦調整などを行なっていた。
爆殺 ・2019年12月27日、イラクのシーア派・親イラン武装組織である「カターイブ・ヒズボッラー」がキルクークの米軍基地に攻撃を行い、軍属の米国人1人を殺害した。米軍は翌28日にカターイブ・ヒズボッラーの拠点を空爆した。これを受けて12月31日から在バグダッド米国大使館へのデモが発生。デモ隊は大使館の壁を放火したり、大使館内への侵入を試みたりするほど激化したが、このデモはPMF支持者が動員されたものだった。PMFはソレイマニの指揮下にあり、デモ隊によってアメリカ大使館が襲撃されたことに時のアメリカ大統領であったトランプ大統領は激怒し、1月2日夕刻ソレイマニ殺害の命令を下した。 2020年1月3日ソレイマニ司令官はバグダッド国際空港側を走行中に、米軍の無人攻撃機による爆撃を受け死亡した。
カセム・ソレイマニ司令官死後の問題 ・イラン革命防衛隊の精鋭コッズ部隊を長年指揮してきたカセム・ソレイマニ司令官をアメリカが殺害したことによって、これまで低強度で推移してきた両国のの対立は劇的に悪化した。その余波は極めて深刻なものになり、報復も予想される。攻撃と反撃の連鎖により、両国による直接対決に近づく可能性がある。
参考文献 Wikipedia「ガセムソレイマニ」項
解説 イランのソレイマニ司令官殺害(gooニュース)
投稿者 てんや