日清戦争8
出典: Jinkawiki
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1894年に起きた甲午農民戦争の反乱はすぐにおさまったが、日本・清の両国とも朝鮮から兵をひかなかった。日本・清の両国とも、朝鮮での自国の影響力が弱まることをおそれたのである。 やがて両国は対立が深まっていき、同1894年に豊島沖で日本艦隊と清国艦隊が交戦したのをきっかけに、同1894年に日本は清に宣戦布告を行い、ついに日本と清との戦争が起きた。 こうして日清戦争(にっしんせんそう)が1894年に始まった。日清戦争で争いあった国は日本と清であるが、両国が手にいれようとしたのは朝鮮半島の支配権であり、戦場になった場所も朝鮮半島およびその周辺の地域・海域である。 戦争は、日本の勝利で翌年1895年に終わった。 清は軍事力の高い強国だと思われていたのですが、戦争が始まってみると、陸戦でも海戦でも日本の勝利だった。日清戦争の前の清は「眠れる獅子」と諸外国から恐れられていた。 この日清戦争のあと、中国大陸では、清の民族である満州族に対する反発が、だんだんと強まっていきます。実は元々、中国では満州族に対する不満が大きかった。清の王朝は、満州族の王朝だった。満州族が、漢民族などのおさめていた中国を侵略してつくった王朝が清である。満州族は、漢民族を支配した。 漢民族たちは、満州族の支配を、不満に感じていた。 満州族は、自分たちの風習を漢民族にも、むりやり、やらせた。例えば満州族の男は、髪型が辮髪という、髪を一部を残して剃りあげ、残りの毛髪を伸ばして三編みにし、後ろにたらした髪型なのですが、漢民族の男にも、これをやらせていた。ほかにも、いろんなことで漢民族は、満州族のやりかたにしたがわせられた。 日清戦争は、民族で見れば、日本人と満州族との戦争であるといえる。