フェリペ2世
出典: Jinkawiki
2008年11月4日 (火) 16:22の版
フェリペ2世(Felipe Ⅱ, 1527-1598)
スペイン王。在位1556-98年。神聖ローマ帝国皇帝を兼ねた父カルロス1世(カール5世)からスペインとその海外領土およびミラノ、フランドルを継承し、1581年には母親がポルトガル王家出身だったことから、ポルトガル王位をも占め、その支配権は未曾有の広がりをもった。
版図の拡大は国際政治におけるスペインの責任と負担の増大につながった。スペインを中核とするハプスブルク体制に執拗に反発するフランスとの対立、西部地中海をうかがうオスマン・トルコの脅威、宗教改革による西ヨーロッパの分裂という父カルロス1世以来の課題は、フェリペ2世の治世にはますますその切迫の度を深めた。これらのような困難な事態に直面したフェリペにはスペイン王、ハプスブルク家の一員、カトリック・ヨーロッパ防衛の第一人者という三つの立場があったが、これらはおのずから錯綜して最終的にはスペインを抜き差しならない状況に追い込んでいった。
王権に従順なカスティリャの忍耐と、インディアスからもたらされる相当量の銀を支えにしてフェリペは積極的な対外政策を展開した。ユグノー戦争下のフランスへの干渉、反乱を起こしたフランドルに対する強圧政策、トルコ艦隊を破ったレパントの海戦での主導権、そして予期せぬ失敗に終わった通称「無敵艦隊」の派遣などがそのあらわれである。また、これと並行してスペイン人の国外留学を禁じ、外国書籍の輸入に厳しい検閲を課すなどして、プロテスタンティズムのスペイン侵入に細心の注意を払った。この間、異端審問所は王の意向に沿って重要な役割を演じた。
フェリペ2世の治世は政治の視点に立てばスペインの「黄金世紀/ゴールデンエイジ」の頂点に立つ。しかし、これを支える経済力はその治世の初めからすでに破綻をきたしていた。カルロス1世が残した借財のために、フェリペの王室財政は即位の翌年に早くも支払不能に陥り、結果的には父親から引き継いだ借財の5倍もの負債を息子フェリペ3世に残した。この乱脈極まりない王室財政のもとで、スペイン、とりわけカスティリャの産業と経済はその基盤を破壊され、それはやがて17世紀なかばのスペインの敗北へとつながっていく。
参考文献
牛島信明・神吉敬三・小林一宏 監修 「スペイン・ポルトガルを知る事典」平凡社