摂関政治

出典: Jinkawiki

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<摂関政治> 9世紀半ばから、天皇が幼いときは摂政として、成人した場合は関白として、政治の実権を握るという政治のあり方。 奈良時代からおこっていた貴族の勢力争いは、平安時代になっても衰えなかった。その中で藤原氏がたくみに他の貴族を退けながら、娘を天皇のきさきとして、その皇子を次の天皇に立てることで、自らが天皇の祖父(外祖父)となり、勢力を伸ばしていった。そのときに行ったのが摂関政治である。 摂関政治は11世紀初めの藤原道長、頼道の父子の時にもっとも盛んで道長は4人の娘を天皇のきさきにしていった。平安時代の33人の天皇のうち、24人は藤原氏の娘が母であった。

<摂政> 天皇に代わって政治を行う役職。天皇が幼少、女性、病気のときに置かれた。古くは神功皇后の時の伝承があり皇族がその地位についた。のちに藤原良房が皇族以外ではじめての摂政になった。

<関白> 成人男性の天皇を補佐する役職。887年藤原基経が正式に任じられたのが最初である。

<摂関政治の背景とその意義>

律令では、太政官が奏上する政策案や人事案を天皇が裁可する、という政策決定方式が採られていた。つまり、天皇に権力が集中するよう規定されていたのであるが、摂政・関白という天皇の代理者・補佐者の登場は、摂関家が天皇の統治権を請け負い始めたことを意味する。


参考文献

旺文社「中学総合的研究・社会」     ウィキペディアより


  人間科学大事典

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