ユートピア

出典: Jinkawiki

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ユートピア(utopia)は、想像上の理想的な社会を示す。「理想郷」や「理想国」、「無可有郷」とも言う。「ユートピア」という言葉は、もともと16世紀イギリスの思想家、官僚・政治家のトマス・モアが書いた本の題名である。また、その物語中に登場する架空の国の名前を指す。1516年にラテン語で出版された。それは、ラテン語で「どこにもない場所」という意味になる造語である。トマス・モアはその国を理想の国家として描き、その意図は同時代の国家や現実の社会と対峙させることによって、現実への批判を行うことであった。そこから転じて「ユートピア」という言葉は現実の社会よりも優れた、理想的な社会、及びそのような社会の構想のことを指すようになった。対義語はディストピアである。


トマス・モアの「ユートピア」

モアの著作の正式名称は、De Optimo Reipublicae Statu deque Nova Insula Utopia(『社会の最善政体とユートピア新島についての楽しく有益な小著』)という。

その内容は、第1巻、第2巻、「手紙」の3部構成になっている。「第1巻」の中で、トマス・モアはある男に出会い、その男はユートピア島を訪れた話を始めた。そこでは、ユートピア人たちが、地上の楽園とも思われる共和国を作り上げていた。「第2巻」は、トマス・モアが、男から聞いた話を整理する形式になっている。ユートピアの具体的な制度(「法律」、「戦争」、「信仰」、「結婚」など)が語られている。そして「手紙」は、トマス・モアがある友人に送った私信という形式をとる。「手紙」では、ユートピアについて作者がこれまでまとめたことへの違和感と共に、記憶違いやトマス・モア自身も納得ができない個所があることが書かれていた。トマス・モアは、手紙を受け取る友人に、ユートピアを語った男に連絡して真意を確かめて欲しいと依頼して終わっている。これは、この話がフィクションであることの強調と共に、現実社会の批判を和らげる意図があったという解説もある。

モアが描くユートピアという国は、回りは暗礁に囲まれた、500マイル×200マイルの巨大な三日月型の島にある。元は大陸につながっていたが、建国者ユートパス1世によって切断され、孤島となった。ユートピアには54の都市があり、各都市は1日で行き着ける距離に建設されている。都市には6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えが行われる。首都はアーモロートという。

ユートピアでの生活は集団生活で、ラッパの合図で一斉に食堂で食事をする。その後、音楽や訓話を聞いたりして、6時間程度の労働がある。労働は主として農作業で、自給自足の生活であり、全ての住民は労働に従事しなければならない。私有財産は禁止され、貨幣もないため、必要なものがある時は共同の貯蔵庫のものを使う。労働に従事しない日は、芸術や科学、音楽などを研究する。住民は質素、快適、安穏な生活を営んでいる。しかし、実際には着る衣装や食事、就寝の時間割まで細かく規定され、市民は安全を守るため相互に監視し合い、社会になじめない者は奴隷とされる。トマス・モアは、この社会は理想的であるため住民は何の苦悩も持っていないと書いているが、現在の視点から見れば、このような社会環境に全部の人間が満足できるとは思わないという見方もある。非人間的な管理社会の色彩が強いため、現在の視点から見れば、理想郷どころかディストピア(逆理想郷)とさえ言える内容だという見方も出ている。


現在のユートピア

現在「ユートピア」という言葉は、主義、思想、宗教、信仰とは関係なく、だれもが幸せに暮らすことの出来る理想的な社会を指し、平和と市民の衣食住が維持された理想的な社会、または国家、または世界を指す時に使われるようにもなった。不条理な面をふくむ現実に出会った時、その矛盾を解決し、もっと新しい理想的な社会像に置きかえようとする人間の想像力が新しい「ユートピア」の夢を描かせるのである。

実際、多くの創作家が文学、美術、映画、アニメなどの表現の中に模索してみたり、描いたりしてきている。童話では、『ピーター・パン』に出てくる土地としてネバーランドが挙げられる。子供が年を取らないと言われている。また、童話『オズの魔法使い』に出てくる王国で、東西南北を治める魔女がいるとされる「オズの国」もある。日本では、宮沢賢治の作品に登場する架空の地名「イーハトーブ」が挙げられる。郷土岩手県にちなんでいるそうだ。他にも、埼玉県入間郡毛呂山町に分村移転した武者小路実篤の「新しき村」など、多くの理想郷が世界や日本にある。現代の日本では、漫画の中にユートピア的環境やユートピア文学とも言える作品が多く出ている。鳥山明の「ドクタースランプ」(あられちゃんの発明者)が住む「ペンギン村」は作者が描く一種のユートピアであるという見方や、宮沢駿監督のアニメ作品には、「風の谷のナウシカ」や「ラピュタ」に、一種のユートピアのような社会や街が出てくる。そのようなことからも、彼の作品を現代のユートピア文学と位置づける人もいるそうである。これらのことからも、私達に死んでほしくないユートピア社会の夢を見せてくれるのである。


ユートピアの生みの親「トマス・モア」

トマス・モアは、1478年2月7日ロンドンで生まれた。祖父・父ともに法律家で、彼もオクスフォード大学で学んだ後に法律の学校に進み、1504年議会で庶民院議員となって政界入りをした。1529年には、法律家として重職である大法官に任じられる。秩序と平和を愛した人間であった。トマス・モアが生きた時代は、中世的な価値観が打ち破られる時代であった。イギリスでは、「囲い込み」が行われ、ドイツでは、ルターによって宗教改革の火の手が上げられた。トマス・モアは、ローマ・カトリック教会を信じていたため、臣民としてはイギリス国王に、宗教ではローマ教皇に属する立場のようであった。

一方、彼は少年時代にカンタベリ大司教の書生をしていたこともあり、敬虔なキリスト教徒であった。彼は聖書をよく研究しており、当時の腐敗したカトリックのあり方には疑問を持っていたようで、むしろプロテスタント的な思想の持ち主であったとも言われている。彼は1505年27歳の時に結婚しているが、その時も神の道に生きるのなら結婚はすべきではないのではないかと悩んでいたようだ。そのような彼の心を大きく揺るがす大事件が起きたのが、ヘンリー8世の離婚問題である。ヘンリー8世はイスパニア王女カザリンと1509年に結婚していたが、彼女の侍女であったアン・ブーリンと恋に落ち、彼女と結婚するためにカザリンを離別した。しかし、この離婚をローマ法王クレメンス7世は許可せず、ここにヘンリー8世は英国国教会を設立してイギリスの教会のカトリックからの分離を断行した。

このヘンリー8世の行為はモアにとっては許し難いものであった。彼は大法官の地位を辞任し、ヘンリー8世とアン・ブーリンとの結婚式にも出席しなかった、と書かれている。更にヘンリー8世を英国国教会の長とする「首長令」にも異議を唱え、彼は反逆者として査問委員会に呼び出されてしまう。査問委員会に場でも彼は自分の信念を決して曲げようとはしなかった。彼は1534年ロンドン塔に幽閉され、翌年7月6日に処刑された。トマス・モアは、最後まで自分の信じる神の道に捧げた人生を送ったと言われている。

モアが「ユートピア」を書いたのは1516年であり、第1巻では国王のあり方やヘンリー8世についての批判も行っているようだ。しかし、当時国王は若さから来る寛容さで、そのような批判を逆にしっかり受け止め、良き王であろうと努力していたのかも知れないのではないかという見解もある。


参考文献:広辞苑、ウィキペディア

http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/book/082.htm http://www.geocities.com/genitolat/Utopia/info2.html http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-kin/more-thomas.htm


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