国境

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2009年1月22日 (木) 13:56の版
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正井泰夫(2006)「「世界地図」の意外な読み方」青春出版社 正井泰夫(2006)「「世界地図」の意外な読み方」青春出版社
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目次

国境

定義

「広辞苑」

①国と国との境。異なる国家間の境。

②[法]国家と国家との版図を区画する境界線。国家領土主権の行われる限界。自然的国境と人為的国境とがある。

「明鏡」

国と国とのさかい。くにざかい。

「マイペディア」

国家領域の限界。具体的には一国の領土・領海・領空の限界。河川(中央線など)山脈(分水嶺など) 湖水・海洋など自然的条件によるものと、条約・民族関係・道路・経線・緯線など人為的条件によるもの( 標柱・石・遮断棒・壁など人工的標識が国境を表す)とがある。

※分水嶺:降った雨水を異なった水系に分ける山稜、分水山脈(「明鏡」より)

英語ではborderである。


人為的条件による国境の例

アフリカ

概要:アフリカの国境の特徴として直線の国境が多いことがあげられる。これらの国境が定められたのは、19世紀から20世紀にかけての帝国主義の時代である。 当時のヨーロッパ列強(フランス・イギリス・スペイン・ポルトガル・ベルギー・イタリア・ドイツなど) はき沿ってアフリカを分割し、植民地としていた。その際定められたものが現在の国境となっている。もちろん自然条件や、もともとその地にあった国、民族の勢力範囲を考慮した所もあった。しかし、列強官の力関係が優先され、当事国や民族を無視した国境線も多い。


影響:列強間の力関係などの外部要因を優先した結果、1つの民族が分断され1つの国に複数の民族が存在することとなった。それは絶え間ない内戦や紛争の原因の1つとなり結果として飢餓や貧困を生むこととなった。

アメリカ

国内の境界線:タウンシップ制

 タウンシップ制とは、北米大陸東部のアパラチア山脈より西部の広大な土地を天文開拓して人を住み着かせるにあたり、連邦政府がとった計画的な土地対策である。

 アメリカでは1785年からこの政策をとっていたため、現在も週の境界線の約半分が直線となっている。また、州内の行政区分の多くも碁盤の目のような正方形で整然と並んでいるところも多数存在する。


参考文献

「広辞苑」 「明鏡」 「マイペディア」

正井泰夫(2006)「「世界地図」の意外な読み方」青春出版社


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