川中島の戦い
出典: Jinkawiki
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信玄と謙信
○武田信玄(1521‐1573)
甲斐の領主・武田信虎の長男。21歳の時に弟に家督を譲ろうとした父を駿河へ追放し、翌年から信濃への攻略を開始する。「風林火山」で有名な最強の騎馬隊を持ち、天下取りを目指して京へ上るが、道中で病死する。
○上杉謙信(1530‐1578)
越後の守護代・長尾為景の末子として生まれる。幼少より寺に入れられていたが、兄が病弱であったため、かわって家督を継いだ。1561年、上杉憲政から関東管領職と家名を受け継ぎ、関東にも出兵。脳溢血で死去する。
川中島
信濃北部に流れる千曲川と犀川の合流地点に川中島は位置している。甲斐・越後・上野、三国に通ずる交通の要所であり、戦略上の価値も高い場所であった。
発端
甲斐の武田信玄は家督をついで以来、着々と信濃攻略をすすめ、信玄に攻められた北信濃の武士たちは上杉謙信を頼って越後へ逃亡した。謙信は彼らを故国へ復帰させることと、自国の安全を確保するため合戦に及んだ。もし北信濃が信玄の支配下に入れば、越後は武田軍の圧力にさらされることになるためである。川中島の戦いは領土を拡張しようという信玄の野心と自国防衛と領地を奪われた豪族たちを助けようという謙信の正義感の戦いであった。
川中島の戦いは天文22年(1553)から永禄7年(1564)まで11年間にわたって繰り広げられ、5回の衝突があった。なかでも最も激しい戦いが行われたのが、第四次合戦であった。
第一次合戦
天文22年(1553)、川中島地方南端で最初の衝突があった。北信濃の豪族、高梨氏らが信玄に攻められて謙信に助けを求めてきたことがきっかけとなった。上杉軍が出陣し、信玄が奪った葛尾城を攻略するが、武田軍もすぐに反撃する。両軍によるゲリラ戦が展開されるが、主力の衝突は起こらず、両軍とも引き上げることとなった。
第二次合戦
天文24年(1555)に勃発する。謙信は善光寺に布陣し、付近の城山に本陣を張った。それに対し信玄は諏訪方面から出陣した。両軍は犀川をはさんで川中島で対陣する。200日に及ぶ持久戦となったが、信玄の今川義元への調停依頼などにより、両軍は兵を退いた。
第三次合戦
弘治3年(1557)に行われた。武田軍が上杉軍の葛山城を攻略し、上杉軍も武田方の諸城を攻略しながら川中島方面へと南下し、各地で衝突があったが、大きな戦闘にはならなかった。しかし、この後川中島地方はほぼ武田軍に占領され、信玄は千曲川と犀川が合流する善光寺付近に海津城を築き、信濃を守る砦とした。
第四次合戦
最も激しい戦いである第四次合戦は永禄4年(1561)に行われた。謙信は関東管領に就任して上杉家を継ぐと、これを機に信濃から武田氏の勢力を一掃しようと考えた。越後を出発後善光寺付近に数千の兵を残し、川中島方面に向かった。そして千曲川南岸の妻女山に陣を構えた。一方信玄は謙信出陣の知らせを受けると、甲府の躑躅ヶ崎を出発して川中島に入り、上杉軍と対峙した。戦いの口火を切ったのは信玄であった。軍師山本勘助の案で、軍を二手に分け、一隊が妻女山を攻撃し、謙信方の軍が追われて出てきたところをもう一隊が待ち伏せして滅ぼそうとする作戦をとった。これは「啄木鳥戦法」と呼ばれている。
しかし、謙信は信玄の策略を見抜き、信玄の部隊が到着する前に密かに妻女山を下り、信玄が待ち構える八幡原へ進撃した。そして逆に武田軍に攻撃を開始する。この時上杉軍は次々と部隊を繰り出す「車掛かりの陣」と呼ばれる戦法をとった。謙信に完全に裏をかかれる形となった武田勢は大混乱に陥り、信玄の弟の信繋や山本勘助らが討ち死にするなど、大打撃を被った。
危機に陥っていた武田軍であったが、妻女山に向かっていた別の部隊が到着し、参戦したことにより、形成は逆転した。結局、ここでも決着がつかないまま両軍とも兵を引いた。
第五次合戦
川中島の最後の戦いである第五次合戦は永禄7年(1564)に起こった。上杉軍は川中島に兵を進めたが、信玄は塩崎まで出陣したものの戦いは避けたため、にらみ合いで終わることとなった。
結果
長きにわたる信玄と謙信の戦いは、両者とも名将であるがゆえに明確な勝敗がつかないままである。しかし、信濃の大部分を支配することができた信玄にとっては川中島での戦いは意義の大きなものとなった。
武田軍と上杉軍の争いは信玄・謙信の両者が病死した後も続いていたが、やがて織田信長という共通の敵が現れ、甲越同盟により終止符が打たれた。
参考
小和田哲男 著 「らくらく入門塾 日本史講義」 ナツメ社
武光誠 監修 「3日でわかる戦国史」 ダイヤモンド社
菊池正憲 「もう一度学びたい戦国史」 西東社
http://museum.umic.jp/ikushima/history/takeda-kawanakajima.html
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/ijin/kawanakajima.html