ベネディクト
出典: Jinkawiki
2009年1月26日 (月) 15:41の版
プロフィール
本名、ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日 - 1948年9月17日)は、アメリカの文化人類学者。ニューヨーク生まれ。
大学はヴァッサー大学に学んだ。卒業は、1909年である。その後1919年、コロンビア大学の大学院で学び始め、フランツ・ボアズの指導を受け、PhDを取得、1923年教員の1人となる。マーガレット・ミードは、彼女の教え子の1人である。彼女は、1930年代の初めまでアン・シングルトン(Anne Singleton)のペンネームで詩文も書いていた。
彼女の『文化の型の捉え方』(1934年)は、あらゆる人間社会の中で現れてくる行動のかたちを記述する中での文化の相対主義を表現したものであった。(彼女の批評家たちは、これを全体の中の「ごく些細な一部」という言い方をする。) 1936年、彼女は助教授に昇任した。ベネディクトは、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参入するに当たって戦争に関連した研究や助言のために、招集した代表的な社会人類学者の1人となった。
彼女のあまり知名度の高くない著作に、彼女がジーン・ウェルフィッシュと共に書いたパンフレットがある。これはアメリカ軍のために人種的な偏見について学問的な解説を企てたものである。軍は、軍事的な効率と関係する人種的に動機付けられた行動に関心を持っていたのだが、この著作物は、それについての完全な説明を網羅するまでには至っていない。
「菊と刀」
原著は1946年に刊行され、48年(昭和23年)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究の中から生まれた。日本研究の名著である。直接現地調査が出来ないという制約にもかかわらず、在米日系人との面談、文学や映画の分析を通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序の中で「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について、「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手がかりに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。】--(ブリタニカより)
【-----アメリカの文化人類学者 R.ベネデクトによる日本文化論。1946年刊。日本人の<義理><恩><恥>といった観念の解釈をめぐって、戦後日本の思想界に大きな波紋を投じた。第二次大戦中、米軍の攻勢が確実になった頃、政府、戦時情報局は彼女に日本研究の仕事を委嘱した。現地調査が不可能であるため、彼女は、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面談等を材料として研究をすすめ、対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて、日本文化の基調を探究し、執筆した。日本人は礼儀正しいといわれる一方、不遜で尊大であるともいわれ、固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。
また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。民族の思考と感情から出た習慣と行動には必ず一貫性があるという、ベネデクトの文化統合形態の理論に彼女の直感的な人文学的才能がプラスされ、欧米人による日本文化論として名著との評判が定着した。この著作に対して日本では川島武宣、津田左右吉、和辻哲郎、鶴見和子らの批判と評価がなされた。】---(平凡社 世界大百科事典より)