フロイト

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-ジークムント・フロイト Sigmund Freud(1856-1932)+ 
 +== ジークムント・フロイト Sigmund Freud(1856-1932) ==
精神分析学の創始者。 精神分析学の創始者。
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フロイトが成長するにつれて、ユダヤ人の迫害が強くなり、長い間ウィ-ン大学医学部の講師として働いていたが、教授にはなれず、最終的にはフロイトの患者が絵画を文部大臣に献上したために教授になることができた。このことからも彼は自分の生い立ちにより人生が大きく左右されたといえる。 フロイトが成長するにつれて、ユダヤ人の迫害が強くなり、長い間ウィ-ン大学医学部の講師として働いていたが、教授にはなれず、最終的にはフロイトの患者が絵画を文部大臣に献上したために教授になることができた。このことからも彼は自分の生い立ちにより人生が大きく左右されたといえる。
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 +== フロイトの職業 ==
精神分析学の創始者であるフロイトは始めから精神分析をやっていたわけではない。 精神分析学の創始者であるフロイトは始めから精神分析をやっていたわけではない。
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モルヒネの代わりにコカインを麻酔薬として使えるのではないかという考えをもとに研究したこともあった。コカインを使用することは流行し、多くの人の手に出回った。しかし、危険な副作用があるとわかると、すぐに誰も使わなくなった。コカインの研究をしていたフロイトは、白い目で見られるようになり、さらにフロイトがコカインを勧めたために死んでしまった友人もいて、彼はそれを後悔をしていた。 モルヒネの代わりにコカインを麻酔薬として使えるのではないかという考えをもとに研究したこともあった。コカインを使用することは流行し、多くの人の手に出回った。しかし、危険な副作用があるとわかると、すぐに誰も使わなくなった。コカインの研究をしていたフロイトは、白い目で見られるようになり、さらにフロイトがコカインを勧めたために死んでしまった友人もいて、彼はそれを後悔をしていた。
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 +== 心理の世界へ ==
その後、フロイトはブリュッケ教授と共に研究した下等動物から、人間心理へ興味が移っていき、1886年には臨床医として開業し、同年には論文「男性のヒステリーについて」を発表。医者として働くと同時に治療法の開発や心のメカニズムの発見をしていった。 その後、フロイトはブリュッケ教授と共に研究した下等動物から、人間心理へ興味が移っていき、1886年には臨床医として開業し、同年には論文「男性のヒステリーについて」を発表。医者として働くと同時に治療法の開発や心のメカニズムの発見をしていった。
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翌年には今まで行なってきた催眠暗示法から自由連想法へ移行。これが、クライアントがカウチに横になり自由に思いつくままに語るという有名なスタイルである。 翌年には今まで行なってきた催眠暗示法から自由連想法へ移行。これが、クライアントがカウチに横になり自由に思いつくままに語るという有名なスタイルである。
-1895年、論文「ヒステリー研究」を発表。同年、夢の分析を開始 。 
-1896年、『精神分析』という言葉を使う。論文「ヒステリーの病院について」を発表。  
-1907年、ユングと会う。彼とフロイトははじめ同じ分野の研究者として仲がよかったが、互いの主張や考え方の相違や、人間的・気質的対立から後に決別することになる。前に(将来・未来)向かっていくことを重視したユングに対し、さまざまな症状の原因を過去(主に幼年期)に求めたフロイトとは方向性が違っていたのである。また、ユングがオカルトや心霊を強調したが、フロイトの科学主義がそれを認めなかったなども決別の一因であった。+1895年:論文「ヒステリー研究」を発表。同年、夢の分析を開始 。
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 +1896年:『精神分析』という言葉を使う。論文「ヒステリーの病院について」を発表。
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 +1907年:ユングと会う。
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 + 彼とフロイトははじめ同じ分野の研究者として仲がよかったが、互いの主張や考え方の相違や、人間的・気質的対立から後に決別することになる。前に(将来・未来)向かっていくことを重視したユングに対し、さまざまな症状の原因を過去(主に幼年期)に求めたフロイトとは方向性が違っていたのである。また、ユングがオカルトや心霊を強調したが、フロイトの科学主義がそれを認めなかったなども決別の一因であった。
   
-1917年、精神分析を志すものが一度は読むであろう論文「精神分析入門」を発表。 
-1932年、その続編となる論文「続・精神分析入門」を発表。+1917年:精神分析を志すものが一度は読むであろう論文「精神分析入門」を発表。
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 +1932年:その続編となる論文「続・精神分析入門」を発表。
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 +1933年: ナチスによりフロイトの著書が禁書となり、ベルリンで焼かれる。
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 +1938年:ロンドンに亡命。
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 +1939年:手術不能なガンにより安楽死を望み、9月22日に死去。
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-1933年、 ナチスによりフロイトの著書が禁書となり、ベルリンで焼かれる。  
-1938年、ロンドンに亡命。 +== 参考文献 ==
 +フロイト(ロラン・ジャカール,福本修訳,法政大学出版局)
-1939年、手術不能なガンにより安楽死を望み、9月22日に死去。+フロイト 人と思想(鈴村金彌,清水書院)

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目次

ジークムント・フロイト Sigmund Freud(1856-1932)

精神分析学の創始者。

フロイトはユダヤ人の両親の元に生まれ、貧しいユダヤ人の家庭で育つ。ユダヤ人であったことでさまざまな差別や偏見の目を向けられた経験が彼の考え方などに影響している。

フロイトが成長するにつれて、ユダヤ人の迫害が強くなり、長い間ウィ-ン大学医学部の講師として働いていたが、教授にはなれず、最終的にはフロイトの患者が絵画を文部大臣に献上したために教授になることができた。このことからも彼は自分の生い立ちにより人生が大きく左右されたといえる。


フロイトの職業

精神分析学の創始者であるフロイトは始めから精神分析をやっていたわけではない。 1873年にウィーン大学の医学部に入学し、卒業後は生理学の研究室に属していた。神経系に関する解剖生理学的な研究を始め、下等生物を研究対象としていた。研究が終わった後、学位もとり、教授を目指したが、結婚したために、生計をたてていくため研究者はあきらめ、臨床医なるための研修を始めた。


モルヒネの代わりにコカインを麻酔薬として使えるのではないかという考えをもとに研究したこともあった。コカインを使用することは流行し、多くの人の手に出回った。しかし、危険な副作用があるとわかると、すぐに誰も使わなくなった。コカインの研究をしていたフロイトは、白い目で見られるようになり、さらにフロイトがコカインを勧めたために死んでしまった友人もいて、彼はそれを後悔をしていた。


心理の世界へ

その後、フロイトはブリュッケ教授と共に研究した下等動物から、人間心理へ興味が移っていき、1886年には臨床医として開業し、同年には論文「男性のヒステリーについて」を発表。医者として働くと同時に治療法の開発や心のメカニズムの発見をしていった。

催眠暗示法の採用、夢の研究、カタルシス法(浄化法)の採用や、1891年には失語症と小児麻痺に関して「失語症の理解のために」という論文を発表。

翌年には今まで行なってきた催眠暗示法から自由連想法へ移行。これが、クライアントがカウチに横になり自由に思いつくままに語るという有名なスタイルである。


1895年:論文「ヒステリー研究」を発表。同年、夢の分析を開始 。

1896年:『精神分析』という言葉を使う。論文「ヒステリーの病院について」を発表。

1907年:ユングと会う。

 彼とフロイトははじめ同じ分野の研究者として仲がよかったが、互いの主張や考え方の相違や、人間的・気質的対立から後に決別することになる。前に(将来・未来)向かっていくことを重視したユングに対し、さまざまな症状の原因を過去(主に幼年期)に求めたフロイトとは方向性が違っていたのである。また、ユングがオカルトや心霊を強調したが、フロイトの科学主義がそれを認めなかったなども決別の一因であった。  

1917年:精神分析を志すものが一度は読むであろう論文「精神分析入門」を発表。

1932年:その続編となる論文「続・精神分析入門」を発表。

1933年: ナチスによりフロイトの著書が禁書となり、ベルリンで焼かれる。

1938年:ロンドンに亡命。

1939年:手術不能なガンにより安楽死を望み、9月22日に死去。


参考文献

フロイト(ロラン・ジャカール,福本修訳,法政大学出版局)

フロイト 人と思想(鈴村金彌,清水書院)


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