貧窮問答歌
出典: Jinkawiki
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貧窮問答歌は731(天平3)年頃、山上億良によってかかかれた作で、「万葉集」第五巻におさめられている。山上億良は、奈良初期の歌人で、人生的・社会的な歌を詠む。これは、2人の問答形式をとっているが、この2人の姿は奈良時代律令制もとでの貧しい農民の一面を主張しているともいえる。このような農民の窮乏化は、農村の荒廃をもたらし、そして律令体制の基盤をもゆるがすこととなる。
史料からみる
風雨の強い夜、それに雪まで降るような夜はどうしようもないほど寒い。堅塩をかじりながら、糟湯酒をすする。しきりに咳きもで、鼻水をすすり、たいしてはえてもいない鬚をなで、自分よりえらい人間はいまいと内心自慢もしてみるが、やはり寒いので麻ぶとんを引っかぶり麻布の袖なしなどをありったけ着てもまだ寒い。こんな寒い夜を、私よりもっと貧しい人の親たちは飢えと寒さに苦しみ、妻や子どもたちはうめき泣くことだろう。こんな時、どのようにしてあなたはこの世を生きていこうとするのか。 天地は広いというが、私のためには狭くなったのだろうか。日や月は明るいものなのに、私には照ってくれないような気がする。人がみなそうなのか、それとも私だけなのか。人間に生まれ、人なみに成長してきたのに、綿もはいっていない麻布の袖なしの、破れて海藻のようにたれて下がったぼろを肩にひっかけ、低いゆがんだ小屋のなかで地面に藁を敷いて、父母は自分の枕の方に、妻や子は足の方にかたまりながらなげている。かまどには火の気もなく、こしきには米を蒸すことも忘れたかのように蜘蛛の巣がかかっている。「短い物の端を切ってもっと短くする」という諺のように、むちを持った里長の租税を取り立てる声が、この小屋の中まで聞こえてくる。この世を生きることは、これほどどうしようもないことなのか。 この世の中を生きることは、いやなこと恥ずかしいことばかりだが、飛び立って逃げることもできない。鳥のように羽はないのだから。 (万葉集)
これは、ただ農民の悲惨さを伝える史料として授業では扱われているが、最も重点をおいてみるべきことは、貴族社会の中に生きる人々の中にも、自分たちが支配する農民たちの生活の貧しさに心を砕くものがいたということである。その貧しさを一人の貴族がいたわりの目で見ているということが大事なのだと思う。これは、山上億良に限らず多くの貴族たちの共通した農民観だったのではないか。
参考文献
精選日本史史料集 第一学習社