法隆寺
出典: Jinkawiki
2009年1月27日 (火) 20:49の版
飛鳥時代に用明天皇のために聖徳太子によって創建された寺。7世紀に火災にあい焼失、再建されたが、それでも現存する世界最古の木造建造物である。1993年12月にはユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録された。
敷地面積:18万7千平方メートル
西院伽藍と東院伽藍にわかれており、西院伽藍は聖徳太子が、東院伽藍は行信という僧が建てたもの。
国宝建築は西院東院あわせて19棟。その中には奈良時代や室町時代に加えて創建されたものもある。飛鳥時代に創建されたもので国宝指定されているのは、金堂、五重塔、中門である。
ちなみに昭和の大修理中に金堂の壁画や柱の一部が火災により焼失した。そのため文化財保護法が制定され、火災の起きた1月26日は文化財防火デーになっている。
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伽藍配置
法隆寺西院の伽藍配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれ、回廊内の左に塔、右に金堂が建つ。
飛鳥時代の代表的な伽藍配置「四天王寺式伽藍配置」と類似のもの。「四天王寺式伽藍配置」とは中門の左右から出た回廊が講堂までの間を結び、その中に塔・金堂を配置するものである。だいたい中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ。
主な仏像など(国宝)
- 金堂本尊:釈迦三尊像
日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作。目や耳の形、首のくびれや表情、衣服の表現が大陸風。
- 薬師如来坐像
金堂東の間に安置されている。用明天皇のために作られた。脇持の日光・月光菩薩は本来一具のものでない。
- 百済観音像
昭和26年に初めて国宝認定されたものの一つ。樟の一本造り。金堂の釈迦三尊像の後に安置されていたものを、新築した百済観音堂に移した。飛鳥時代の記録に名前が残っておらず、いつ法隆寺へ入ったかは不明。もともとは菩薩として伝わっていたが、明治時代に別所に保管されていた宝冠に観音の標識「化仏」があらわされていたため、観音であることが分かった。
- 救世観音像
夢殿(東院)のご本尊。飛鳥時代に作られた樟の木の一木造り。761年の記録に「上宮王(聖徳太子)等身観世音菩薩像」とあり、聖徳太子の等身像ともいわれて秘仏であったが、明治時代に世に知れ渡ることになった。秘仏であったころは長い布がまかれ、それを取れば聖徳太子の怒りに触れると恐れられていた。
- 玉虫厨子(仏具)
厨子とは仏像などを中に安置するためのもので、正面には観音開きの扉がつく。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾されていたためこの名がついた。現在玉虫の羽は一部に残るのみ。扉や壁面の装飾画も有名。
再建論
明治時代以降、日本書紀の「670年 法隆寺災あり一屋も余すことなし」などの記述から、現在の法隆寺が再建されたものか否かが争われてきた。非再建論者は様式や尺度に唐の強い影響がみられないと主張。しかし様式などは昔のものを使ったとすればよく、また西院から火災にあったと思われる伽藍跡が発見されたため、再建されたとの見方が定着した。また年輪年代法により、西院のおおかたの建造物は再建されたとされる7世紀後半のものと分かった。ただ五重塔の心柱が6世紀後半のものであり、最初の塔から移築されたか、木を寝かせていたのではないかとの見方がある。そして金堂の一部にも焼失以前の年代の木材が使われており、現在のものはまだ以前のものがあった頃から作られていたのではないかと考えられている。