陽明学

出典: Jinkawiki

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儒学思想の一つである。明代の思想家、王陽明(1472~1528)によって唱えられた。陽明学という呼び名は明治日本以降広まったもので、それ以前は王学と呼ばれていた。 陽明学の発祥は朱子学が深く関係している。朱子学は支配イデオロギーとなっっていったが、それ故に体制擁護としての作用が増大し、道徳主義が失われていった。その道徳主義を復活させようとしたのが、王陽明である。朱子学では「理」(万物の法則であり、根拠、規範。「然る所以の故であり、且つ当に然るべき則」)はあらゆるものにあるとし(一木一草みな理あり)、そうした理について読書など学問することにより理解を深めた後に「性」(個々に内在する理、五常五倫)へと至ることができるとした。いわば心の外にある理によって、心の内なる理を補完せんとしたのである。

当初は王陽明も朱子学の一派であったが、「一木一草」の理に迫らんとして挫折し、ついに朱子学から離れることになる。その際王陽明は朱子学の根本原理となっている「格物致知」解釈に以下のような疑義を呈した。まず天下の事事物物の理に格(いた)るというが、どうすれば可能なのかという方法論への疑義。そして朱子は外の理によって内なる理を補完するというが、内なる理は完全であってそもそも外の理を必要としないのではないか、という根本原理への疑義である。こうした疑義から出発し思索する中で陸象山の学へと立ち帰り、それを精緻に発展させたのが陽明学である。 わが国では、近江聖人と呼ばれた中江藤樹が日本陽明学派の祖といわれ、「孝」を道徳の根本におき、「愛」と「敬」とに支えられた民衆倫理を展開した。

参考資料:陽明学がわかる本 著:長尾剛     :近代日本の陽明学 著:小島毅     :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E5%AD%A6


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