階級社会の否定
出典: Jinkawiki
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18世紀になり幕藩体制の動揺が著しくなると、種々の社会批判が現れた。もちろん国学も封建教学の儒教批判からはじまり、洋学も合理的なヨーロッパの自然科学を輸入するという点で、すぐれた社会批判であった。封建制度そのもの、階級秩序を否定した安藤昌益は、秋田に生まれ江戸で医学・本草学を勉強し、南部八戸で医者を業としたという程度しかわかっていないが、万人が耕作する平等社会を理想として階級社会を否定し、儒学や仏教は階級支配を合理化するものであるとした。儒教、仏教などの宗教をはじめ国家、商業をも否定し、 農業を根本とした全ての人間が平等な社会を築くことを主張。のちに農本共産主義と評される。
史料
すべての人々が耕作し、大小・上下という2つの段階のないのが自然である。ところが最初聖人がでて来て大王となってから、大小の序列ができ、大は小を食いものにし、次から次へ弱い者を食いものにし、動物・魚虫の世界と同じになった。これは、聖人が人間社会を動物社会と同じようにしてしまったのである。現在の社会は全てこれである。だから全てが人間というに値しない。自分勝手に生きて非道なことをする。すべて聖人の罪である。上に武士が君臨し、人々が耕作した穀物を搾取し、これを否定する者は逮捕される。下々の人々は租税課役の収奪に苦しんで、不幸な人々に慈愛をおよぼすことさえできない。だから困窮人が発生する。本当の愛は、耕作機織にたずさわる人々の間にある。耕作・機織をしないで、他人のつくった衣食を搾取することをやめると、老いて孤独な男や女、みよりのない老人、親のいない子供、困窮者もなくなる。 (統道真伝)
安藤昌益は、「万人直耕」といわれる 全ての人が自ら食料生産(農業)をする、という思想であった。 この全ての人というところで昌益は万人平等であるということを主張し、支配階級を否定した。さらに商業つまりは分業も否定した。 また、自然世は全て(天地やヒト)が直耕している昌益の理想的な状態であった。 法世が出来たのは古代の聖人と言われていた人間のせいだというのが昌益の主張である。 そして、儒教や仏教を非難している。神道も現在の神道は「制法の神道」であるとして非難した。これらのものをなぜ非難したかというと権力が民衆を支配する道具になっているということからである。 確かに儒教は君主のより良い支配の仕方などを指導しているし、仏教勢力は江戸時代幕府の支配機構の一部だったとされている。 神道は仏教と混淆し同じような役割を担っていたりした。 だが、昌益の批判文は教典をよく読んでいないのではないか、という批判もある。
参考文献
精選日本史史料集 第一学習社