足利義昭

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

最新版

 室町幕府15代将軍。異名として「貧乏公方」「陰謀将軍」「愚か者」「流れ公方」がある。人格形成期を外界と遮断された中で僧侶として成長。在職期間は1568(永禄11)年から1573(天正元)年。父親は12代将軍足利義晴、兄は13代将軍足利義輝。その兄である義輝が松永久秀に唆された、三好三人衆(三好長逸・岩成友通・三好政康)により自殺に追い込まれた。義昭は幕臣細川藤孝の働きで難を逃れ、復飾し、室町幕府再興を誓った。

 若狭・越前と転々とするものの、期待していた朝倉義景が覇気の無い人間であったため、明智光秀の仲介で、当時美濃国を制圧した織田信長との対面を果たした。その時「2,3ヶ月で京に戻れましょう」という言葉をかけられ、信長はそれを実践し室町幕府再興となった。

 義昭は当初、信長を「御父」と呼ぶほどに感謝の意を表し、信頼もしていたが、信長は義昭が将軍位についたあと『殿中の掟』で義昭の権限を抑制し、自らが武家政治棟梁の代行者のような行動を開始する。つまり、自らの勢力拡張を、幕府の将軍である義昭という威光を利用して進めていこうとした。織田氏は加速度的にその勢力を広げていたが、その反面、朝倉義景・浅井長政・三好三人衆・石山本願寺など敵対するものも多かった。

 やがて義昭は信長に対してしだいに不満を募らせ、浮遊時代についた文通相手収集癖で、諸国の大名へ将軍として「御内書」と言う名の手紙を出し「反信長同盟」こと信長包囲網の結集に成功。1572(元亀3)年に松永久秀が信長に叛旗を翻すが、これも義昭と意を通じてのことだったという見方もある。また同年に、武田信玄が西へと向けて侵攻を開始しているが、その西上の目的が上洛にあったかどうかは別として、義昭と連絡があったことは間違いなく、進軍の状況によっては信長との対決も視野に入れていたのではないだろうかという見解もある。

 信長もこの義昭の水面下での行動を察知し、同年の北近江侵攻後「異見十七ヶ条」を発布するに至るが、両者の関係の悪化は進行し、溝はますます深まっていった。信長は義昭との関係修復を図り、1573年初頭に講和を結ぶように働きかけたが、義昭はこれを一蹴した。この時期は武田信玄が三方ヶ原で徳川家康を破り、三河国の野田城を攻めていた頃で、信玄上洛を計算に入れてのこととも思われる。義昭は近江国志賀郡の石山・今堅田の砦に兵を入れて挙兵した。信長はこれに応じて軍勢を興した。柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼隆にこの両砦を攻撃させ、数日後には陥落させた。義昭勢には朝倉・浅井の援兵はなかった。信玄の侵攻も停止しており、義昭の一人相撲となってしまった。信長は信玄の軍勢が三河国野田から動かないことを見た上で、岐阜より出陣し、その後京都に入り京都郊外に放火した。信長は間髪入れずに使者を送って義昭に和睦を促したが、義昭はこれを拒否。今度は信長は上京に放火した。そして二条御所を包囲し、再び義昭に和睦を迫ったものの義昭は態度を変えなかった。業を煮やした信長は正親町天皇に働きかけ、関白・二条晴良の斡旋の上で和睦が成立した。しかし、義昭は懲りずに再度挙兵。これには信長も許しはせず、1573年に信長に追放され室町幕府は滅亡した。信長に追放された後も、義昭は生涯征夷大将軍の称号を手放すことはなく、信長死後も幕府再興しようとしていた

 追放後は毛利氏に世話になるが、そこでも手紙を多発していた。ある日、かつての腹心明智光秀が信長に謀反、信長が死んだという狂喜な知らせを受ける。羽柴(豊臣)秀吉との対陣中の毛利に義昭は期待するものの毛利と羽柴は講和した。秀吉は明智光秀を討ち取り、それ以降「室町幕府云々」と言う人間は誰一人としていなくなった。最期は秀吉の庇護の下生涯を終えた。


参考資料

 石川日本史B講義の実況中継② 石川晶康 語学春秋社

 日本史B用語集 全国歴史教育研究協議会【編】 山川出版社

 http://homepage3.nifty.com/yoshiaki/

 http://www.asahi-net.or.jp/~mh6h-ecg/ksn/meikan/11-a.htm

 http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/ka/AshikagaYoshiakiNoRan.html


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成