ロバート・オウエン

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2009年1月6日 (火) 12:00の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
2009年1月29日 (木) 10:01の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

次の差分へ →
1 行 1 行
ロバート・オウエン(Robert Owen,1771年5月14日 - 1858年11月17日)イギリスの社会改革家。 ロバート・オウエン(Robert Owen,1771年5月14日 - 1858年11月17日)イギリスの社会改革家。
-産業革命が引き起こした社会的問題と正面か取り組み、教育を通じて労働者階級を救済し、新しい社会を建設しようとした。彼は、年若くしてスコットランドの片田舎のニュー・ラナークで、紡績工場の経営にあたることになった。彼が工場を経営してみると、当時数多くいた無知、怠惰、不道徳の中にいる年少労働者に直面することになったのである。そこで、彼は次のような改善策をたてた。+産業革命が引き起こした社会的問題と正面か取り組み、教育を通じて労働者階級を救済し、新しい社会を建設しようとした。彼は、年若くしてスコットランド(この地定着の契機としてグラスゴウのデイビット・デイルとその家族との出会いに始まる。デイルは、当時スコットランドの実業家で、最も優れた指導者と言われていた。銀行家、商人、紡績製造者で博愛主義者であった。)の片田舎のニュー・ラナーク(グラスゴウから東南へ30キロばかり離れた農村地帯にある町。2001年、デイルとオウエンの博愛的工場経営の実験を記念して世界遺産に指定され、多くの観光客が彼らの業績を偲んで訪れるようになった。)で、紡績工場の経営にあたることになった。彼が工場を経営してみると、当時数多くいた無知、怠惰、不道徳の中にいる年少労働者に直面することになったのである。そこで、彼は次のような改善策をたてた。
①自分の工場では、少年の酷使をやめる。 ①自分の工場では、少年の酷使をやめる。
13 行 13 行
オウエンは、このような方針を実行にうつす一方、他方では、少年労働を制限する工場法制定の運動に活躍した。環境が人間形成に大きな影響を与えるという彼の環境論は、心理の一面を正しくついている。ヒューマニズムに貫かれた彼の教育思想は、やがて社会主義の教育思想家に受け継がれていくのである。 オウエンは、このような方針を実行にうつす一方、他方では、少年労働を制限する工場法制定の運動に活躍した。環境が人間形成に大きな影響を与えるという彼の環境論は、心理の一面を正しくついている。ヒューマニズムに貫かれた彼の教育思想は、やがて社会主義の教育思想家に受け継がれていくのである。
 +
 +'''晩年'''
 + 短い生命を得たものの、オウエンが挑戦したコミニュティはほとんどが最終的に失敗の運命をたどった。1846年には彼の組織的運動は壊滅し、彼の影響力は次第に失われていった。社会改革をめざす多くの人々から批判され、忘れ去られようとしていた。それ以後の歳晩年に至るまで衰えた彼の余生はやや悲哀に満ちたものであったといえる。とはいえ、彼自身の社会改革への意欲が消え去ったわけではなく、彼の思想的行為全てが否定されていったわけではなかった。彼の、世界を全面的に改革し全人類に永遠の幸福をもたらそうととてつもない野心と理想を抱いていた、そのかけがえのない「遺産」は後世に残るものとなっている。
                                                                     
-                                        参考:『西洋教育思想』晃洋書房+                            参考:『西洋教育思想』晃洋書房
 +                               『ロバート・オウエン』研究社 土方直史
 +                               『社会改革と教育』明治図書出版  

2009年1月29日 (木) 10:01の版

ロバート・オウエン(Robert Owen,1771年5月14日 - 1858年11月17日)イギリスの社会改革家。 産業革命が引き起こした社会的問題と正面か取り組み、教育を通じて労働者階級を救済し、新しい社会を建設しようとした。彼は、年若くしてスコットランド(この地定着の契機としてグラスゴウのデイビット・デイルとその家族との出会いに始まる。デイルは、当時スコットランドの実業家で、最も優れた指導者と言われていた。銀行家、商人、紡績製造者で博愛主義者であった。)の片田舎のニュー・ラナーク(グラスゴウから東南へ30キロばかり離れた農村地帯にある町。2001年、デイルとオウエンの博愛的工場経営の実験を記念して世界遺産に指定され、多くの観光客が彼らの業績を偲んで訪れるようになった。)で、紡績工場の経営にあたることになった。彼が工場を経営してみると、当時数多くいた無知、怠惰、不道徳の中にいる年少労働者に直面することになったのである。そこで、彼は次のような改善策をたてた。

①自分の工場では、少年の酷使をやめる。 ②9歳以下の子供は使わない。 ③救貧院や孤児院や貧民保護司のところから少年労働者の受け入れをやめる。 ④労働者の労働条件や生活条件を改善する。 しかし最も注目すべきなのは1816年1月に工場に併設された「性格形成学院」のことである。この学院は、労働者の4歳以下の子供たちのための初等学校からなっている教育機関(学校)であった。オウエンはここを足場にして、輝かしい教育活動を展開したのである。

ニュー・ラナークは当時における労働者とその子供の天国といわれ、全世界から数万にのぼる訪問者を持つこととなったのだがそれは何故だったのか。その鍵としてオウエンの教育思想の中に見ることができる。

第一に、理想社会を作り出すためには、人類の無知を追放しなくてはならない、そのためには、教育が必要である、と説いた。第二に、人間は環境によってつくりあげると主張した。次のように言っている「適当な手段を用いれば、どんな一般的性格でも最善のものから、最悪なものまで、最も無智なものから最も知識のあるものまで、どんな社会にも広く世界にでも、付与することができる。しかも、その大部分は、世事に影響力をもっている人たちが意のままにし、支配しているところのものである。」すなわち、人間の性格は、例外なく環境の被造物である、というのである。このことから、必然的に次のようなことがいえる。第三の主張は、人間が環境の産物であるならば、人間の性格の正しい形成のためには、人間を良好な環境のもとにおかなければならないということである。しかも、オウエンにすれば、先の引用にもあるように、良好な性格を形成するための手段~つまり良好な環境をつくること~は、人間が「意のままにし、支配している」のである。第四に、教育は、人間が幼少のとき、最も効率的である、と主張した。第五に、当時の学校教育が貧困労働者階級の子供たちに当然教えなければならない事柄以外のことを教えているのを批判するとともに、「子供たちには、まず、事実の知識を教えるべきである」と主張した。すなわち、生活にとって最も有効かつ必要な事実を教えるべきである、といったのである。第六に、教授法方法の改善を主張した。すなわち、教授にあたって、教師は「子供たちが心から納得するような明瞭な説明」をすべきであり、またこの説明は、「子供が知的能力を獲得するにつれて、次第に詳細にしてゆくべきである」といっている。第七に公教育制度の必要性を主張した。「国が教育の問題を取り上げ~慈善団体や個人にまかせておくのではなく~国民教育制度をつくりあげるべきである。そしてまた政府は、この国民の教育を担当すべき教育者を養成する教員養成所の設立が必要である。」

オウエンは、このような方針を実行にうつす一方、他方では、少年労働を制限する工場法制定の運動に活躍した。環境が人間形成に大きな影響を与えるという彼の環境論は、心理の一面を正しくついている。ヒューマニズムに貫かれた彼の教育思想は、やがて社会主義の教育思想家に受け継がれていくのである。

晩年  短い生命を得たものの、オウエンが挑戦したコミニュティはほとんどが最終的に失敗の運命をたどった。1846年には彼の組織的運動は壊滅し、彼の影響力は次第に失われていった。社会改革をめざす多くの人々から批判され、忘れ去られようとしていた。それ以後の歳晩年に至るまで衰えた彼の余生はやや悲哀に満ちたものであったといえる。とはいえ、彼自身の社会改革への意欲が消え去ったわけではなく、彼の思想的行為全てが否定されていったわけではなかった。彼の、世界を全面的に改革し全人類に永遠の幸福をもたらそうととてつもない野心と理想を抱いていた、そのかけがえのない「遺産」は後世に残るものとなっている。

                                  

                            参考:『西洋教育思想』晃洋書房                                『ロバート・オウエン』研究社 土方直史                                『社会改革と教育』明治図書出版  


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成