「共産党宣言」

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2009年1月29日 (木) 11:40の版

「共産党宣言」の経緯

18世紀末から19世紀はじめにかけてイギリスでおこった産業革命は、その後ヨーロッパにひろまり、各国で機械制大工業にもとづいた資本主義が発展しはじめていた。フランスでは、1789年の大革命でブルジョアジーが支配階級になったが、ドイツはなお絶対君主の支配のもとにあった。 資本主義の発展とともに、1831年のリヨンでの労働者の蜂起をはじめ、労働者階級の闘いが起こっていた。その一方で、サン・シモン、フーリエ、才ーエンなどの空想的社会主義者が登場していた。そして1847年の恐慌をきっかけに、ヨーロッパは革命的情勢に直面した。こうしたときに、労働者階級の闘いの指針となったのが『共産党宣言』であった。 『宣言』をだした「共産主義者同盟」は、もともとドイツ人労働者の亡命者たちが1836年にパリでつくった秘密組織「正義者同盟」であった。正義者同盟は、その後ロンドンに本拠を移し、それとともに国際的な組織となったが、そのころ影響力をもっていたのは、空想的な共産主義理論だった。 他方、マルクスとエンゲルスは、1844年にはじめてパリで出会ったとき科学的社会主義理論の基本的見地で一致し、『聖家族』『ドイツ・イデオロギー』などの著作でそれを明らかにするとともに、各地の活動家にたいし理論的にも組織的にも積極的なはたらきかけを開始していた。 当時、正義者同盟の内部では、共産主義社会をどのようにして実現するかをめぐって活発な議論がおこなわれていた。そうしたなかで、マルクスとエンゲルスのもとに、二人の加盟と協力を要請する密使がおくられ、二人は同盟に加わった。1847年6月に正義者同盟は大会をひらき、名称を「共産主義者同盟」に改めた。そして同年11月の第2回大会において、徹底した討論をへてマルクス、エンゲルスの示した原則が承認され、綱領の起草が二人に委託された。そうしてできたのが『共産党宣言』である。


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