惣(惣村)
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2009年1月29日 (木) 14:07の版
鎌倉時代末期になると末期なると、畿内周辺に農民たちの自治的村落が出現する。これを「惣(惣村)」と呼ぶ。
この惣村では「一致団結」がなにより重視される。ゆえに村では掟が定められ、違反者は厳罰に処せられた。 たとえば、、村共有の蕨粉を盗んだ未亡人とその子ども2人が、村人たちに捕えられ、殺された。この話を聞いた領主の九条政基は、「なにも殺すことはないだろうに」と日記に書き付けているが、たかが蕨粉であっても、村落の秩序と結束を乱した母子の罪は、村人たちにとっては許し難い裏切りだったのである。それほど惣村の結束のは固いものがあった。