エズラ・ヴォーゲル

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2009年1月27日 (火) 15:00の版
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日本についての叙述では、以下のように断っていることも忘れてはならない。 日本についての叙述では、以下のように断っていることも忘れてはならない。
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 <日本には、アメリカが決して真似したいと思わないような好ましからざる制度もいくつかある。日本の成功にはそれだけのコストがかかっていることも指摘されるべきだし、そのことは検討される必要がある。日本は決してユートピアではなく、世界中の近代国家の抱える数々の問題をある程度もっている。この本の中で日本がさまざまな複雑な面を持つ現実に存在する国として描かれるよりも、時には一つのモデルとして扱われているように感じられるとしたら、それは日本を理想化しようとしたのではなく、一つのモデルのなかでアメリカが採用できるかもしれない重要な部分を強調したいと思ったのである。>  <日本には、アメリカが決して真似したいと思わないような好ましからざる制度もいくつかある。日本の成功にはそれだけのコストがかかっていることも指摘されるべきだし、そのことは検討される必要がある。日本は決してユートピアではなく、世界中の近代国家の抱える数々の問題をある程度もっている。この本の中で日本がさまざまな複雑な面を持つ現実に存在する国として描かれるよりも、時には一つのモデルとして扱われているように感じられるとしたら、それは日本を理想化しようとしたのではなく、一つのモデルのなかでアメリカが採用できるかもしれない重要な部分を強調したいと思ったのである。>

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プロフィール

エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル(Ezra Feivel Vogel, 1930年7月11日 -)はアメリカ合衆国のドイツユダヤ系社会学者。

日本学・現代日本の社会学が専攻で、日本・東アジア関係の研究に従事した。

オハイオ州デラウェア(Delaware, Ohio)に生まれる。オハイオ・ウェスリアン大学、ハーバード大学に学び、1958年に博士号を取得。1967年から2000年にかけて、ハーバード大学にて教鞭を振るう。

1979年の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、戦後日本経済の成功の秘訣を解き明かすとともに、当時停滞していたアメリカ復活の教訓として、日本から学ぶことの重要性を説いて大きな話題となり、書名は今日でも80年代に栄華を極めた日本経済を象徴する言葉としてしばしば用いられる。

中国語、日本語に堪能なヴォーゲルは、ハーバード大学の看板教授であり、1973年から1977年までは同大学の東アジア研究所長をつとめた。1993年9月、CIA国家情報会議(CIAの分析部門)のアジア担当の分析官となった。

息子のスティーヴン・ヴォーゲルも、比較政治を専門とする日本研究者であり、現在はカリフォルニア大学バークレー校教授を務める。


著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を上梓したのは1980年代前半。日本の生産技術が欧米にようやく追いつき、日本の工業製品が世界市場を席巻し始めた頃だった。日本が「日の昇る国」として「落日」の欧米を眺めていたころ、イギリスで起きていたのがビッグバンだった。


著者ヴォーゲルは序文で、この本の目的は、アメリカが学ぶべきモデルの国として日本を紹介することであると断っている。

 <この国(日本)はその少ない資源にもかかわらず、世界のどの国よりも脱工業化社会の諸問題に直面する基本的問題の多くを、最も巧みに処理してきたという確信をもつにいたった。私が日本に対して世界一という言葉を使うのは、実にこの意味においてなのである。> というのである。

日本についての叙述では、以下のように断っていることも忘れてはならない。

 <日本には、アメリカが決して真似したいと思わないような好ましからざる制度もいくつかある。日本の成功にはそれだけのコストがかかっていることも指摘されるべきだし、そのことは検討される必要がある。日本は決してユートピアではなく、世界中の近代国家の抱える数々の問題をある程度もっている。この本の中で日本がさまざまな複雑な面を持つ現実に存在する国として描かれるよりも、時には一つのモデルとして扱われているように感じられるとしたら、それは日本を理想化しようとしたのではなく、一つのモデルのなかでアメリカが採用できるかもしれない重要な部分を強調したいと思ったのである。>

これらの記述から、この本はけっして「日本賛美の書」ではないはずだ。ところが日本語の翻訳書は、「日本賛美の書」として読まれ、すさまじいベストセラーとなった。

ヴォーゲル自身が、日本人の謙虚さをほめたたえたのは皮肉なことである。同書には以下の記述がある。

 <日本の成功の全貌がこれまでなぜアメリカにもっと大きく紹介されなかったのか、私はかねがね不思議に思っていた。というのは、日本通のアメリカ人ビジネスマン、政府関係者、日本研究家たちのほとんどは、すでにそのことに鋭敏にも気づいていたからである。ところが、いろいろ考え合わせてみると、その答は見かけによらず簡単だということがわかった。

 つまり、たいていの日本人は生来謙虚であり、そのため自分たちの成功を過小評価しがちであること、さらに一部の日本人は国内の結束を固めるためなのか、あるいは外国からの圧力をかわそうとするつもりなのか、日本の将来の危ない面を意識的に強調する傾向があること。一方、アメリカ側としては西洋文明の優越性に自信を抱いているし、自分たちを世界一とみなしたいという意味もあって、東洋人から実際的な面で学ぶことがあるということを素直に認めたがらないということがあったのである。>

ここで言及されている日本人の謙虚さは、ヴォーゲルが強調する日本の成功の原点にあったはずのものである。しかし皮肉にもヴォーゲルのこの本は、謙虚さという日本人の美徳を失わせるのに大きな役割を果たした。 おそらく一般国民が自ら「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に飛びつき、謙虚さを捨てて、傲慢さに乗り換えたのではない。日本賛美ともみえるヴォーゲルの分析は、日本というシステムの運営者にとって極めて都合の良いものだった。官僚やオピニオンリーダーたちが、「自分たちのやってきたことは正しかった」と正当化するために「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を利用したのである。

ヴォーゲルは1998年雑誌のインタビューでこう答えている。 「「あなたは20年前に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いたけれど間違っていたじゃないですか」と言われることがありますが、 私はそうは思いません。あの本の中で、私は日本を世界一の経済大国とは言っていません。ただいろいろな点から見て日本はナンバーワンだと書いたのです。教育水準の高さ、犯罪の少なさ、長生きとか健康状態とか、総合的に見て日本は組織として非常にうまくやっていると。今でもそう考えています。」


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