キューバ革命

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キューバ革命とは、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが中心となって、米資本と結んだフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに至った武装解放闘争のことを指す。既に軍事政権への反発は1950年代前半よりみられており、1953年にもカストロらは蜂起していたが、この頃は革命勢力の結束が弱く失敗に終わった。1958年になると反政府各派の共同戦線が結束され、1959年1月1日にハバナ占領を果たして革命政権が成立した。キューバ革命は、当初より社会主義革命を志向したわけではなく、政権獲得直後にはアメリカ合衆国との交渉も模索していた。しかし、プラヤ・ヒロン侵攻事件によりアメリカ合衆国との関係回復が不可能であると判断すると、ソ連への接近を鮮明にし、1961年に社会主義宣言を示して、キューバ革命を社会主義革命として位置づけた。キューバ革命は、単純に社会主義革命と思われがちだが、キューバ革命は、インド独立に続くまた一つの新しい革命であった。キューバ革命の動機は、そもそも、典型的な新植民地主義の圧政から国民を解放することにあり、必ずしも社会主義、共産主義を志向するものではなかった。従って、指導者のカストロも、アメリカが徹底した敵視政策をとるまでは、ソ連よりもアメリカとの友好関係を模索していた。


新植民地主義

 新帝国主義ともいわれるが、革命前のキューバ国民を苦しめていた新植民地主義の政治は、支配国と大企業、大地主、軍事独裁政権の三者が結びつき、二重、三重の独占構造により、一般国民を「合法的に」搾取する、複合的な支配形態である。キューバを例にとると、農地の大半がアメリカ系大企業、もしくは大地主の経営する大農園で、商品作物のサトウキビの単種栽培であったため、国家としてのキューバはアメリカに砂糖を安く買いたたかれ、さらに国民の大半を占める小作農は、安い賃金で働かされるという形になる。  その一方で、農民でありながら、その農業の形態から食料の自給は不十分で、賃金は材料を買えば消えてしまうくらいで、さらにキューバ自体も、砂糖以外は日用品すらもアメリカ系商社を通した輸入に頼るため、砂糖を売って稼いだ外貨は、そのまま吸い上げられる形になっていた。このような状況で国民が文句を言わないわけがないので、それを押さえ込むために、軍事独裁政権が利用され、さらにそこに現地の資本家、大地主をサポートに加えて、間接統治体制を安定化させるわけである。

参考文献

  ・自由国民社 土屋彰久著 教科書が教えられない政治学

  ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  ・三省堂 伊高浩昭 キューバ変貌


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