パラリンピック
出典: Jinkawiki
2009年1月17日 (土) 22:55の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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・ドーピング | ・ドーピング | ||
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パラリンピックでは、1988年のソウル大会からドーピング検査を行われるようになった。これはパラリンピックが記録を争うスポーツへと変化したことが原因であると言える。そして、実際に禁止薬物の使用によるドーピングとみなされた選手もいたようである。また、障がい者特有の「ブースティング」と呼ばれるドーピングがある。※以下引用 | パラリンピックでは、1988年のソウル大会からドーピング検査を行われるようになった。これはパラリンピックが記録を争うスポーツへと変化したことが原因であると言える。そして、実際に禁止薬物の使用によるドーピングとみなされた選手もいたようである。また、障がい者特有の「ブースティング」と呼ばれるドーピングがある。※以下引用 | ||
障害者スポーツ特有のドーピングに「ブースティング」がある。ブースティングとは、昇厚器(ブースター)からきており、故意に血圧を上昇させることで精神的・心理的興奮をうながし、闘争心を高めて競技に臨むことである。脊椎損傷のなかには、とくに頸髄損傷においては、自律神経系(無意識に血圧や脈拍をコントロールするシステム)がうまく機能しなくなる場合があり、膀胱に尿がたまりすぎたり、体のある部分が圧迫されたりすることで発作性の高血圧を起こすことがある。ブースティングとは、逆にこの現象を利用して故意に尿をためたり、体の一部を車いすで圧迫したりして人為的に血圧を上げた状態にして競技を行うことをいう。しかし、この発作性高血圧は、二〇〇~二五〇ミリにも達して、眼底出血や脳出血などの重大な合併症を引き起こす危険がある。(中村・2002) | 障害者スポーツ特有のドーピングに「ブースティング」がある。ブースティングとは、昇厚器(ブースター)からきており、故意に血圧を上昇させることで精神的・心理的興奮をうながし、闘争心を高めて競技に臨むことである。脊椎損傷のなかには、とくに頸髄損傷においては、自律神経系(無意識に血圧や脈拍をコントロールするシステム)がうまく機能しなくなる場合があり、膀胱に尿がたまりすぎたり、体のある部分が圧迫されたりすることで発作性の高血圧を起こすことがある。ブースティングとは、逆にこの現象を利用して故意に尿をためたり、体の一部を車いすで圧迫したりして人為的に血圧を上げた状態にして競技を行うことをいう。しかし、この発作性高血圧は、二〇〇~二五〇ミリにも達して、眼底出血や脳出血などの重大な合併症を引き起こす危険がある。(中村・2002) | ||
・車椅子や義足の不公平さ | ・車椅子や義足の不公平さ | ||
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- | 障がい者スポーツにおいて、車いすや義足の性能が競技成績に大きな影響を与えることは言うまでもないだろう。今日のパラリンピックでは性能差に対しての規制がないために、先進国では、様々な研究や改良を重ね高性能の義足や車いすを開発し、先進国の選手はそれを使用して記録を更新する。その一方で、途上国では、日常的に必要な車いすや義足さえも障がい者に行き渡っていないのが現状で、生活用の義足を使用してパラリンピックに出場する選手が数多くいるようである。これは関係者の間では「もうひとつのドーピング」と呼ばれている。 | + | 障がい者スポーツにおいて、車いすや義足の性能が競技成績に大きな影響を与えることは言うまでもないだろう。今日のパラリンピックでは性能差に対しての規制がないために、先進国では、様々な研究や改良を重ね高性能の義足や車いすを開発し、先進国の選手はそれを使用して記録を更新する。その一方で、途上国では、日常的に必要な車いすや義足さえも障がい者に行き渡っていないのが現状で、生活用の義足を使用してパラリンピックに出場する選手が数多くいるようである。これは関係者の間では「もうひとつのドーピング」と呼ばれている。 |
・参加するための経済的な厳しさ | ・参加するための経済的な厳しさ | ||
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- | パラリンピックの規模が大きくなるにつれて、選手にかかる経済的な負担が増えている。オリンピックもパラリンピックも原則として大会参加費は自己負担である。オリンピックには多くのスポンサーがつくので、参加や渡航費などはスポンサーが払ってくれるのだが、パラリンピックにはそこまでのスポンサーがつかないために、自分たちで支払わなければならない。ちなみに、2000年のシドニー大会では、参加費は600ドルで、特に途上国にとっては高すぎて、参加費の確保がとても難しい。シドニーでは史上最多の125の国と地域から3823人が参加したが、その半数以上の国と地域は、国際オリンピック委員会や非営利組織からの援助を受けて、役員と選手が1名ずつ参加しているような状況であったという。 | + | パラリンピックの規模が大きくなるにつれて、選手にかかる経済的な負担が増えている。オリンピックもパラリンピックも原則として大会参加費は自己負担である。オリンピックには多くのスポンサーがつくので、参加や渡航費などはスポンサーが払ってくれるのだが、パラリンピックにはそこまでのスポンサーがつかないために、自分たちで支払わなければならない。ちなみに、2000年のシドニー大会では、参加費は600ドルで、特に途上国にとっては高すぎて、参加費の確保がとても難しい。シドニーでは史上最多の125の国と地域から3823人が参加したが、その半数以上の国と地域は、国際オリンピック委員会や非営利組織からの援助を受けて、役員と選手が1名ずつ参加しているような状況であったという。 |
また、パラリンピックに出場するためには、標準記録の突破やランキングの上位進出などがあり、そのために年に何度も海外に行かなければならない。これらにかかる旅費や練習環境の確保にかかる負担が、途上国に重くのしかかっている。途上国の役員からは、「パラリンピックに選手を参加させる金があるなら、病院を建てたほうがいい。」という声もあがっているという。 | また、パラリンピックに出場するためには、標準記録の突破やランキングの上位進出などがあり、そのために年に何度も海外に行かなければならない。これらにかかる旅費や練習環境の確保にかかる負担が、途上国に重くのしかかっている。途上国の役員からは、「パラリンピックに選手を参加させる金があるなら、病院を建てたほうがいい。」という声もあがっているという。 | ||
最新版
パラリンピックとは、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee=IPC)が主催する身体障がい者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会のことである。オリンピックと同様に夏季大会と冬季大会があり、オリンピック終了後にオリンピック開催都市で行われる。その種目数は、夏季と冬季を合わせて24種目ある。現在では、出場するために厳しい条件(大会で定められた標準記録を突破、各種大会で好成績を残す、など)があり、世界のトップアスリートだけが出場できる。「パラリンピック」の名称は、半身の不随(Paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語だが、半身不随者以外も参加するようになったため、1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、「もう一つのオリンピック」と解釈することになった。
歴史
20世紀初頭から、散発的な障害者のスポーツ大会は記録されているが、パラリンピックの起源とされているのは、1948年7月28日のロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。ストーク・マンデビル病院は、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルードウィッヒ・グットマン(Sir Ludwing Guttmann)の提唱により、この日、車椅子の入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。1960年には、グッドマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。第2回のパラリンピックは、1964年に、この年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は国際身体障害者スポーツ大会という名称で行われた。第1部は車椅子競技者の大会で、第2部はそれ以外の障害を持つ者の大会として行われたが、実際の第2部は名称に反して、日本の国内大会に近いものとなった。これらの大会は現在、両者を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。オリンピック開催年で、オリンピック開催地で行うという伝統は、東京大会でいったん中絶した。しかし、1976年モントリオールオリンピックの年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との共催でトロント大会が開催され、オリンピックと同一地での開催という伝統が復活した。また、この年から冬季大会が始まった。この年からはオリンピック開催年ごとにこのような国際大会が行われている。この間、国際オリンピック委員会は、これらの大会にオリンピック類似の名称を使うことに難色を示していたため、それぞれの大会で呼ばれていた「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。しかし、1985年、国際オリンピック委員会は、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めた。開催時に既に「パラリンピック」と呼ばれていた大会は、この次の1988年ソウル大会からであり、この大会はオリンピック組織委員会がパラリンピックに直接かかわる初めての大会ともなった。1989年には国際パラリンピック委員会が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。また、それまでのパラリンピックの目的は、障がい者の社会復帰やリハビリテーションであり、「参加すること」が第一であったが、国際パラリンピック委員会が設立されてから、その目的が勝利することに変わってしまった。
課題と問題点
競技への「参加」だけでなく、「勝利」を要求されるようになってから、パラリンピックではオリンピックのように様々な問題や弊害が生じるようになってきた。
<パラリンピックの具体的な問題点>
・ドーピング
パラリンピックでは、1988年のソウル大会からドーピング検査を行われるようになった。これはパラリンピックが記録を争うスポーツへと変化したことが原因であると言える。そして、実際に禁止薬物の使用によるドーピングとみなされた選手もいたようである。また、障がい者特有の「ブースティング」と呼ばれるドーピングがある。※以下引用 障害者スポーツ特有のドーピングに「ブースティング」がある。ブースティングとは、昇厚器(ブースター)からきており、故意に血圧を上昇させることで精神的・心理的興奮をうながし、闘争心を高めて競技に臨むことである。脊椎損傷のなかには、とくに頸髄損傷においては、自律神経系(無意識に血圧や脈拍をコントロールするシステム)がうまく機能しなくなる場合があり、膀胱に尿がたまりすぎたり、体のある部分が圧迫されたりすることで発作性の高血圧を起こすことがある。ブースティングとは、逆にこの現象を利用して故意に尿をためたり、体の一部を車いすで圧迫したりして人為的に血圧を上げた状態にして競技を行うことをいう。しかし、この発作性高血圧は、二〇〇~二五〇ミリにも達して、眼底出血や脳出血などの重大な合併症を引き起こす危険がある。(中村・2002)
・車椅子や義足の不公平さ
障がい者スポーツにおいて、車いすや義足の性能が競技成績に大きな影響を与えることは言うまでもないだろう。今日のパラリンピックでは性能差に対しての規制がないために、先進国では、様々な研究や改良を重ね高性能の義足や車いすを開発し、先進国の選手はそれを使用して記録を更新する。その一方で、途上国では、日常的に必要な車いすや義足さえも障がい者に行き渡っていないのが現状で、生活用の義足を使用してパラリンピックに出場する選手が数多くいるようである。これは関係者の間では「もうひとつのドーピング」と呼ばれている。
・参加するための経済的な厳しさ
パラリンピックの規模が大きくなるにつれて、選手にかかる経済的な負担が増えている。オリンピックもパラリンピックも原則として大会参加費は自己負担である。オリンピックには多くのスポンサーがつくので、参加や渡航費などはスポンサーが払ってくれるのだが、パラリンピックにはそこまでのスポンサーがつかないために、自分たちで支払わなければならない。ちなみに、2000年のシドニー大会では、参加費は600ドルで、特に途上国にとっては高すぎて、参加費の確保がとても難しい。シドニーでは史上最多の125の国と地域から3823人が参加したが、その半数以上の国と地域は、国際オリンピック委員会や非営利組織からの援助を受けて、役員と選手が1名ずつ参加しているような状況であったという。 また、パラリンピックに出場するためには、標準記録の突破やランキングの上位進出などがあり、そのために年に何度も海外に行かなければならない。これらにかかる旅費や練習環境の確保にかかる負担が、途上国に重くのしかかっている。途上国の役員からは、「パラリンピックに選手を参加させる金があるなら、病院を建てたほうがいい。」という声もあがっているという。
夏季パラリンピックの実施競技
・陸上競技
・水泳
・車いすテニス
・ボッチャ
・卓球
・柔道
・セーリング
・パワーリフティング
・射撃
・自転車
・アーチェリー
・馬術
・ゴールボール
・車いすフェンシング
・車いすバスケットボール
・視覚障害者5人制サッカー
・脳性麻痺7人制サッカー
・ウィルチェアーラグビー
・シッティングバレーボール
・ボート
冬季パラリンピックの実施競技
・アルペンスキー
・ノルディックスキー
・アイススレッジホッケー
・車いすカーリング
参考文献
『パラリンピックへの招待』・中村太郎・岩波書店(2002)
日本障害者スポーツ協会http://www.jsad.or.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
『障害者とスポーツ』・高橋明・岩波新書(2004)