高度経済成長
出典: Jinkawiki
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7年間の占領状態から脱出、国家主権を回復した「サンフランシスコ平和条約」
第二次世界大戦が終わると、世界でも大きな変化が起こった。世界はアメリカを中心とした資本主義諸国と、ソ連を中心とする社会主義諸国とに分かれ、対立するようになった。戦闘をともなわないこの対立は冷戦と呼ばれた。冷戦によって、ドイツが東西に、朝鮮は北と南に分断されることになった。
アメリカとソ連によって南北に分けられた朝鮮には、南の大韓民国(韓国)と、北の朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の2つの国ができた。1950(昭和25)年6月、朝鮮を統一しようとした北朝鮮の軍隊が境界線となっていた北緯38度線を越えたことから戦争が始まった。これが朝鮮戦争である。韓国側には国連軍がつき、その主力であったアメリカ軍は、日本の基地から出撃した。
朝鮮戦争の翌年に行われたサンフランシスコ講和会議で、日本はアメリカなどの資本主義諸国との平和条約を結んだ。これで、日本は、一人前の国家として認められ、占領状態から脱出することができた。アメリカとは、日米安全保障条約も結び、日本国内にアメリカ軍の基地や施設が置かれることになった。1956(昭和31)年にはソ連と日ソ共同宣言を調印して国交を回復。日本は国際連合に加入することができた。 第二次世界大戦で、すっかり焼け野原になった日本復興をとげたのは、朝鮮戦争のおかでもある。朝鮮戦争では、アメリカを中心とする国連軍から砲弾やトラック、毛布などの緊急注文が大量にあり、日本の産業を活気づけた。この時、鉄鋼や造船、石油化学、電機、自動車産業などの設備投資や技術革新が大いに進歩した。
1955年(昭和30)年頃には、日本の経済は、ほぼ戦前の水準まで回復し、「もはや戦後ではない」と宣言されるまでになった。これから約20年間、経済成長率は、年10%を超え、高度経済成長といわれる時期が続く。電気洗濯機や電気冷蔵庫、テレビなどが多くの家庭に置かれるようになった。家事に費やす時間が減ったり、団地やスーパーマーケットの出現などで、国民の生活は変化した。しかし、その一方で、農業人口の減少や公害など、さまざまな問題も生まれてきた。
参考文献:「らくらく入門塾 日本史講義」 小和田哲男著 ナツメ社 ・ 「まるわかり日本史」 須藤公博著 永岡書店