新撰組結成

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

最新版

新撰組結成 概要 江戸へ戻ることになった浪士隊の中から、あくまで京都に残って当初の目的を果たしたいとするものが、現れた。芹沢鴨らの水戸脱藩者と近藤勇らの試衛館一統を中心とした22名である。彼らは、京都を出る直前に京都守護職の松平容保の預かりの許しを得て、京都における対テロ部隊として活動を開始することになった。これが幕末の京都にその名をとどろかせた新撰組の誕生である。 新撰組 清河らと袂をわかち京都へ残る決意をした近藤は、京都守護職の会津藩と老中板倉周防守に建白書を提出し、これが認められると新たに京都で隊員の募集を開始した。この結果5月22日には隊士は36名となり、この時点から新撰組は本格的な活動を開始することになった。 局中法度 新撰組は発足当初から、綿密な組織と厳しい規則である局中法度を整備していた。この法度により局長の新見錦、副長の山南敬助をはじめ、数多くの隊士が切腹を命令されることになるのだが、この厳しい法度の運用が新撰組に鉄のごとき規律を与えていたのも事実であった。

参考文献 幕末維新ガイド      まるわかり日本史


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成