金融恐慌

出典: Jinkawiki

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金融恐慌 加藤首相の死去にともない、成立した第1次若槻礼次郎内閣は幣原喜重郎外相のもとで引き続き協調外交路線がとられていく。1927年、震災手形の処理をめぐって、金融恐慌が発生する。直接の原因は、震災手形の処理をめぐる第52議会衆議院予算委員会の席上での「東京渡辺銀行が破綻した」という片岡直温蔵相による失言である。これにより、取付け騒ぎが続出、東京渡辺銀行をはじめ休業する銀行が続出した。さらに植民地台湾での中央・発券銀行という役割を持っていた台湾銀行が鈴木商店の倒産によって危機に直面するという事態が発生した。これに対して若槻内閣は、緊急勅令で日本銀行による救済を行う方針を決めた(台湾銀行救済緊急勅令案)が、協調外交に反対する枢密院の否決にあい、総辞職をよぎなくされてしまった。 次に総理大臣に就任したのは、陸軍・長州閥から立憲友会総裁に迎えられた田中義一だった。田中義一は大蔵大臣に元総理大臣の高橋是清を就任させたうえで、3週間の支払猶予令(モラトリアム)を発令した。そして銀行再生にむけて大量のお札(紙幣)が必要になった日本銀行は、紙幣の印刷が間に合わないために片面にしか印刷していない裏白紙幣を発券することによって、全国的に広がった金融恐慌をわずか3日間でしずめることに成功した。

原因→戦後恐慌・関東大震災・震災手形関係二法案提出・片岡直温蔵相失言

勃発→東京渡辺銀行の休業・台湾銀行救済緊急勅令案・枢密院否決・台湾銀行の休業

終結→モラトリアム発令・日銀非常貸出・台湾銀行などの救済法公布

参考:まるわかり日本史


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