留学
出典: Jinkawiki
2009年1月30日 (金) 12:35の版
最後の授業の時に「留学」について触れていたので、今まで私たちが何気にいっている留学の歴史や現在の留学の種類、傾向が気になったので見ていきたいと思った。
目次 |
概要
平安初期に編集された『続日本紀(しょくにほんぎ)』(巻33)に、「吉備真備(きびのまきび)使いに従いて唐に入り、留学して業を受く」という一文がみられるように、日本では早くから留学ということばが用いられている。留学とは、文字どおり「留(とど)まり学ぶ」ことであり、現在では外国の学問・芸術・技術・制度などを摂取するために、比較的長期間にわたって外国に在留し、大学等の教育機関や研究所で勉学または研究することをいう。留学は、その目的からみると、伝統的な先進文化吸収型と、地域研究を主とする異文化理解型とに大別できる。前者は、開発途上国が若いエリートを海外へ派遣し、先進諸国の優れた文化を吸収することを目的とするものである。これに対し、後者は、先進国と開発途上国とを問わず、特定の国や地域の言語・芸術・社会制度などを深く研究し、異文化の理解に資することを目的としている。国際化時代を迎えた今日においては、伝統的な先進文化吸収型とともに、異文化理解型の留学も盛んになっている。
留学の歴史
授業や上記でも述べていたように日本には昔から留学という言葉はもちろんのこと留学のようなことはされてきた。鑑真が日本にやってきたこと、日本が行った遣唐使遣隋使の派遣。これらもあまり意識はされていないかもしれないがれっきとした外国の文化や生活を研究するために行われている留学といえる。そこで詳しく歴史を見ていくと 日本の海外留学の歴史は、607年(推古天皇15)に聖徳太子が小野妹子(いもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣した当時にさかのぼることができる。ついで630年(舒明天皇2)に第一次遣唐使が送られ、爾来(じらい)約300年間中国との交流が盛んに行われた。遣隋使・遣唐使には多くの留学僧や留学生が同行し、隋や唐の進んだ制度・文物を学び、日本の文化の発展に大きな貢献をなした。しかし、894年(寛平6)遣唐使に任ぜられた菅原道真(すがわらのみちざね)の進言により遣唐使の派遣が廃止されるに及んで、中国との交流も中止され、さらに江戸時代の鎖国政策の徹底に伴って留学の道も閉ざされてしまった。こうした長い空白ののち、幕末に至って、少人数ではあるが、幕府や諸藩による留学生の派遣が再開され、西周助(周(あまね))、伊藤俊輔(しゅんすけ)(博文(ひろぶみ))、森金之丞(有礼(ありのり))、高橋是清(これきよ)らが欧米諸国へ留学した。 明治維新後は、欧米の先進諸国に追い付くために文明開化政策がとられ、明治政府により、積極的に留学生の派遣が行われた。これらの留学生のなかには菊池大麓(だいろく)、西園寺公望(さいおんじきんもち)、津田梅子、東郷平八郎らがおり、帰国後、各分野で指導的立場につき、日本の近代化を推し進めた。海外留学生の管轄は、当初は外務省が行っていたが、1872年(明治5)の「学制」発布後は文部省の所管となった。さらに文部省は翌73年に「海外留学生規則」を定め、この制度により、昭和に至るまで3000人を超える留学生が海外へ渡航した。しかし、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とともに、こうした留学も中止のやむなきに至った。 第二次世界大戦後、1949年(昭和24)に、アメリカ政府のガリオア・エロア基金によりアメリカ留学が再開され、引き続いて、外国政府による奨学金制度(育英制度)、民間団体による各種基金、文部省(現文部科学省)の学生交流制度、私費などによる留学が盛んに行われるようになり、留学生数も毎年増加している。
留学の種類
昔から海外は異文化を理解するために多くの日本人が海外へ足を運んできたが、現在では海外の言葉を取得し海外で活躍できるようになりたいといった海外の文化を習得して日本へ生かすのではなく自分自身が海外で活躍したい交流するための言語獲得の種類とされている。語学が中心となっての留学が存在するのは最近のことである。語学取得のための語学留学・向こうの大学へ通い4年間学ぶ正規留学や、スポーツのより向上のために留学など現在では目的は様々である。 広い視野を養うためにも留学は私たちにとって必要なものなのかと感じた。
参考文献
サンケイ新聞開発室編『海外留学案内』サンケイ新聞出版局、1966年(増補改訂版、1967年) サンケイ新聞社『海外留学案内』サンケイ新聞社出版局、1970年 yahoo百科事典http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%95%99%E5%AD%A6/ La Vraie Provence http://www.provence.fm/frame_right_top.html