チベット
出典: Jinkawiki
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中華人民共和国の南西部にある、ヒマラヤ山脈の北側、崑崙山脈の南側に横たわる山岳地帯の地理的名称。 東は大雪山脈で、中国本土と区切られ、西側はカラコルム山脈に接している。このうちのヒマラヤ山脈沿いの南縁と、その北東に伸びた延長線上の南北に走る渓谷、および、青海以南の四川省西縁の土地に住する民族がチベット人である。 隋の時代にその存在が漢土に伝えられ、唐代(7世紀前半)にソンツェン・ガンポと呼ばれる王によって、建てられた吐蕃王国がチベット人が建てた最初の統一王国である。 以後、度々異民族による支配下に置かれるが、現在でも、「チベット文字」を代表する、独自の文化を継承し続けている。 チベット問題とは、国際的には主として中印国境問題であり、国内的には漢族とチベット族の関係すなわち少民族問題およびチベット自治区の民主改革問題のことである。チベットは清朝統治下にあっても、ダライ・ラマを頂点とする独特の宗教支配を保ってきた。その後、イギリスがインドからチベットをうかがうにに至り、チベット・インド条約を結ぶが、その後、中華人民共和国が成立し、チベット協定を結んだ。しかし、中国側からの文化的な強要が行われ、関係はギクシャクし、ダライ・ラマがインドに亡命したことによりインド軍と中国軍の衝突が起こった。そして、中国が勝利し、チベットの民主改革が進められた。今では、ダライ・ラマ一党はインドにあり、ほとんど国賓同然の待遇を受けているが、その後もダライ・ラマのノーベル平和賞(1989)や、後継者選定をめぐって両者の対立は続いている。
引用文献
・下中直人 世界大百科辞典 2006 平凡社