生活綴方教育2
出典: Jinkawiki
最新版
意義
①子どもの側から見ての定義 生活者であると同時に、学習者でもある子どもたちが、それぞれの発達段階において取り巻かれる自然・社会・人間・文化の事物に自ら働きかけ、また働きかけられて自分の中に生じた考え・感じなどを事実に基づきながらあるいは実感をもととしながら自分を通して自分の言葉で他人にわかるようなひとまとまりの文章で表現・定着させることを「生活綴り方の作品を書く」といい、これが「生活綴方の作業」である。
②教師の側から見ての定義 生活者であると同時に学習者である成長中のこどもたちに対して、教師が全体また国語教育としての目的を持ちながら「生活綴方の作業」を子どもたちの自立性を促しながら実行させ、その作業のあらゆる過程において子どもと学級集団の状況に即しながら綿密で積極的な指導を加えていくことを「生活綴方の教育」という。
目的
生活綴方は全教育の中の一環また国語科教育の一側面を構成している。 教育の普遍的目的として「個々の子どもを発達させる」とは子どもの内部にある無限の可能性を信頼し、それに依拠しながら自然認識・社会認識・人間理解を十分に発達させ、「正しく豊かなものの見方・考え方・感じ方」という。また今日的教育目的として、民族の歴史的な課題にしたがって人間と社会の進歩を望む。
沿革
大正初期:芦田恵之助らが提唱し実践した「綴方科」における自由選題主義
1918年:鈴木三重吉が創刊した児童雑誌『赤い鳥』によって推進された「ありのままの綴方」の文章表現指導運動、自然主義文学系統の綴方やプロレタリア綴方
1929年:小砂丘忠義(1897~1937)らによって創刊された雑誌『綴方生活』
1930年:小砂丘らは「生活教育」を目的とし、「綴方」を内容・方法と位置づける
1934年前後:東北地方の青年教師らによって「北方性教育運動」が開始→生活綴方運動の本格的な展開の始まり
1940年:国民学校制度が確立されるとともに、直接的な弾圧・間接的な圧迫によって中断(検挙者約300人)
第二次世界大戦後、生活綴方教育復活
1950年:「日本綴方の会」誕生
1951年:「日本綴方の会」を「日本作文の会」に改称
→この会を中心に活動を展開しながら今日に及んでいる。
(参考文献)『講座・生活綴方 1』生活綴方概論(百合出版)