ハイデガー
出典: Jinkawiki
最新版
マルティン・ハイデガー
ドイツの哲学者。「存在の探求」を課題とした哲学的思索を展開した。ドイツ南部バーデンのメスキルヒに生まれる。この1889年にニーチェの精神が崩壊し、オーストリアにA・ヒトラーが生まれていることは、その後のハイデガーを象徴するような偶然の一致である。フライブルク大学で当初神学を学ぶが、後に哲学に転じた。卒業後は同大学の助手となって、1916 年から教授として着任したE・フッサール(1859~1938)に学び、その現象学の方法に強い影響を受けた。『存在と時間』は、1927 年、マールブルク大学在職中に刊行された。この書は、哲学のみならず思想界に大きな衝撃を与えている。翌1928 年、彼はフッサールの後任としてフライブルク大学教授となった。ドイツにヒトラー政権が誕生した1933 年、ハイデガーは同大学総長に選出される。その直後にナチスに入党した彼は、総長就任講演『ドイツ大学の自己主張』においてナチスへの共感と協力を表明した。総長職は一年で辞し、以後はニーチェ講義など思索に沈潜するが、1945 年ドイツの降伏とともに対ナチ協力者として教授資格を剥奪(1951 年に復職)された。戦後も旺盛な講義・講演と執筆活動が続き、死の前年から100 巻を超える全集の刊行が始まり、現在も継続中である。
存在と時間
1927 年、ハイデガーが37 歳で刊行した主著で、20 世紀を代表する哲学書とされる。日本語訳では『有と時』と題されることもある。序論において、2部から成る全体の構成と各篇の題名が明らかにされているが、刊行されたのは第1部第2篇までであり、結局その後は書かれずに終わった未完の書でもある。ハイデガーの意図したものは、西洋哲学の伝統である存在論の構築だった。近代科学が対象とする個々の事物や現象の研究を超えて、世界そのものが「ある」ということを根本的に解明しようとする意味で、それはギリシア以来の形而上学をめざす試みでもあった。ハイデガーはこのことをまず「存在(Sein)」と「存在者(Seiend)」の区別として問題提起する。存在者とは個別的・具体的に存在する「もの」や「こと」であるが、存在とはそれら存在者を存在させている「ある」ことそのものである。そ上で、存在そのものを解明するには、「存在とは何か」という問いを発し、明瞭ではないにせよ、存在について何らかの了解をもちうる人間という存在者の意味を明らかにしなければならない。ハイデガーは人間をあえて「現存在(Dasein)」と呼び換え、その分析を本来の存在論に先立つものとして基礎的存在論と名づけた。本書の内容は、結局この現存在についての考察に終始し、めざされた存在論には到達していない。しかし、そこで示された現存在についての思索、すなわち人間のあり方としての「世界内存在」、人間の存在の本質としての「気遣い」・「時間性」といった概念は、難解なものではあるが、それまでにない独自で深遠な思想として、哲学のみならず文学、神学、精神医学にまで重大な影響を及ぼしつつ現在に至っている。なお、現存在は「実存」ともいわれるので、ハイデガーを実存主義に含める見方もあったが、本人は一貫してこれを拒否している。
参考文献:『ハイデガー シリーズ・哲学のエッセンス』北川東子 日本放送出版協会 2002
『面白いほどよくわかる 図解 世界の哲学・思想』小須田健 日本文芸社 2004
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