ホメイニ

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2009年5月4日 (月) 21:48の版

1902~1989

イラン革命を進めたシーア派指導者。


ホメイニはテヘラン南方のコムで学んで指導的な法学者(ウラマー)となったが、親米・独裁政治を続けていた国王シャー・パフラヴィーを糾弾する演説を行い、1964年11月4日逮捕され、トルコへ国外追放となる。

1965年10月、ホメイニはイラクにあるシーア派の聖地ナジャフにある神学校行きの許可を受け、イスラーム法の研鑚を行った。


イラクで13年もすごしているうちに、イランではまさにシャー・パフラヴィーの独裁による政治が専横を極め、国民は反体制のデモを各地で繰り広げるようになっていた。 すると、ホメイニはまたしても、シャー・パフラヴィーを糾弾。 その後パリへ亡命し、そこでも演説を行い、革命を指導していく。


1979年1月16日、国王が亡命すると、ホメイニは2月1日、入れ替わるように帰国。 4月1日、イラン・イスラーム共和国が成立し、革命のシンボル的存在として、ホメイニは最高指導者に就任する。10余年にわたって正教一致の強硬な政治を展開した。これでイラン・イスラーム革命は成立となったが、ホメイニは革命の輸出を唱え、周辺諸国と対立していくこととなる。


参考  http://www.geocities.com/inazuma_jp/iranrevolusion.html


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