戦場のピアニスト
出典: Jinkawiki
2009年6月24日 (水) 15:37の版
ストーリー
ラジオ局のスタジオでピアノ演奏をしているのは、ウワディスワフ・シュピルマン。彼はポーランドの有名なユダヤ人ピアニストであったが、1939年9月、その生活は一変する。第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツはポーランド侵攻を開始、ラジオ局はドイツ空軍による突然の爆撃を受け倒壊するが、シュピルマンはなんとか脱出する。脱出の混乱時、友人ユーレクの妹、ドロタと出会う。帰宅した彼は、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告をしたことを海外のラジオ放送で知り、戦争は早期に終結すると信じて家族と共に喜ぶ。
ナチスの正規軍が通過したあともワルシャワは親衛隊に占領され、ユダヤ人の生活条件は悪化した。まずユダヤ人は家族ごとに保有できるお金の額が制限され、やがて青いダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられた。1940年後半にはユダヤ人たちはワルシャワのゲットー地区に押し込められ、飢餓、迫害、そして死の恐怖に脅かされた。ゲットー内には自治警察署が設置され、署長のヘラーはシュピルマン一家に少しでもましな生活ができるようにとの配慮からシュピルマンに警察で勤務するように持ちかけるが、シュピルマンはその申し出を断りヘラーを激怒させてしまう。しかし、シュピルマンの弟が警察に逮捕された時、ヘラーはシュピルマンの懇願を受け特別に釈放させる。やがて労働証明書を持っていないと強制収容所に送られるとの噂が広まり、シュピルマンは家族の分の証明書を手に入れようと奔走する。
ある日、親衛隊の命令により、シュピルマンとその家族はその他多くのユダヤ人と共に財産を取り上げられて戸外に集められる。労働証明書の有無に関係なく、収容所に移送されることになったのだ。『ヴェニスの商人』を持ち出していた弟は、シュピルマンの頼みに応じ、その一節を音読する。「私たちを刺したら、出血しないだろうか? 私たちをくすぐると、笑わないだろうか? 私たちが毒を飲んだとき、死なないだろうか?」 この状況に相応しい、と感想を述べたシュピルマンに対し、弟は「だから持ってきたのさ」と嘯く。ユダヤ人たちは駅近くの広場に集められ移送を待つ中、最期を悟ったシュピルマンの父は、全財産をはたいて少年からキャラメル一個を買い家族で分け合う。ほどなく彼らは収容所行きの家畜用列車に乗せられるが、シュピルマンだけは警備に当たっていたヘラーの機転で救われその場を逃れる。
家族らと引き離されたシュピルマンは、ゲットー内での強制労働に従事することを余儀なくされる。ここでシュピルマンは、ドイツがユダヤ人抹殺を計画しているらしいこと、そして生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知る。建設労働をさせられていたシュピルマンは過酷な強制労働に耐え切れずに倒れてしまうが、仲間の配慮で楽な倉庫番や食料調達の仕事に換わる。シュピルマンは蜂起への協力を志願し、ゲットーへの武器の持ち込みを手伝う。食料調達のため街(ゲットー外)に出かけた時に市場で知人女性ヤニナを見かけ、彼女を頼ってゲットーの外に脱出することを決意する。
ゲットーを脱出したシュピルマンは、ヤニナとその夫アンジェイが加わる反ナチス地下活動組織に匿われて、ゲットーのすぐそばの建物の一室に隠れ住むようになる。ほどなくユダヤ人たちのワルシャワ・ゲットー蜂起が起こり、シュピルマンは窓からドイツ軍との激しい交戦を目の当たりにする。蜂起は、ゲットー内のほとんどすべての人が殺される結果に終わる。
その後の一年でワルシャワの状況は一層悪化する。シュピルマンは隣人に存在を気付かれ、最初の隠れ家から逃避しなければならなくなった。アンジェイに手渡されていたメモを頼りにその住所の家を訪ねると、ドロタが出て彼女が既に結婚していたことに愕然とするが、ミルカ(ドロタの夫)に匿われる。次の隠れ家はドイツ軍の病院の向かいにあったが、支援者からの食料差し入れが滞り、内臓疾患で死にかけたこともあった。1944年8月、ポーランド人の抵抗勢力はワルシャワ蜂起を起こした。その結果、ワルシャワは壊滅してほとんど住む者もいなくなり、シュピルマンは廃墟の中で完全に孤立無援となった。
ある日、廃墟の中で食べ物をあさっていたシュピルマンは、連絡拠点設営の下見に来ていたドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに見つかる。シュピルマンを尋問し、ピアニストであることを知った彼は、ピアノで何か弾くよう求めた。演奏後、ホーゼンフェルトはシュピルマンを屋根裏部屋に匿い、定期的に食料を与えた。
やがてソ連軍の攻勢に対してドイツ軍はワルシャワからの撤退を余儀なくされる。別れ際にホーゼンフェルトはシュピルマンの名前を尋ね、彼の演奏を再びポーランドのラジオで聴くことを約束する。そしてシュピルマンが凍えて寒そうにしていることに気づいたホーゼンフェルトは、もっと暖かいものを持っているからと着ていた軍服のコートを渡して立ち去る。その後、ワルシャワはソ連軍により解放され、廃墟から出てきたシュピルマンはドイツ軍のコートを着ていたためにソ連兵に危うく殺されかけるが、難を逃れる。
終戦後、強制収容所から解放された者たちが帰路を歩いていると、道のわきに捕虜となったドイツ兵らが集められた場所に通りかかり、捕虜たちを見て悪態をつく。ホーゼンフェルトも捕虜となっており、悪態をつく彼らの中に音楽家がいると知って、「私はシュピルマンを助けた」とシュピルマンの知人の音楽家に訴える。シュピルマンはラジオ局でピアノ演奏に戻っていたが、連絡を受けたシュピルマンがやってきたときには時既に遅く、その場所には空き地が広がるだけであった。
ラストでは、シュピルマンがオーケストラとともに万感の想いを込めピアノを演奏する。
原作
原作はノンフィクションで、戦争直後のポーランドで「ある都市の死」の書名で1946年に刊行された。冷戦下のポーランドでは、主人公シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないため、やむなくオーストリア人としたが、ポーランド共産主義政権の手によりすぐ絶版処分となった。以降、ポーランド国内外で再版されることはなく、1960年代におけるポーランド国内での復刊の試みもポーランド政府による妨害にあい、イギリスで英訳版が出版されたのは1999年になってからであった。英題は「The Pianist:The extraordinary story of one man's survival in Warsaw, 1939-1945」。邦訳は2000年に佐藤泰一の翻訳により春秋社より刊行。邦題は当初「ザ・ピアニスト」だったが、2003年の日本での映画公開にあわせて「戦場のピアニスト」に改題された。この映画は、よくあるユダヤ人の収容所に焦点を置いたのではなく、逃げ、生き延びたユダヤ人の苦悩が音楽とともに鮮明に描かれている。
参考
・Wikipedia ・映画本編 ・公式サイト