ベルリンマンデート
出典: Jinkawiki
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る決議。先進国に2000年以降の対策を定める議定書またはその他の | る決議。先進国に2000年以降の対策を定める議定書またはその他の | ||
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することで合意し、京都議定書をつくる根拠となった。また、途上 | することで合意し、京都議定書をつくる根拠となった。また、途上 | ||
国については新たな義務を課さないこととされた。 | 国については新たな義務を課さないこととされた。 | ||
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AGBMは、1995年8月から合計8回(第8回再開会合を含めると全部で9回)の会合を開催した。その間、IPCCは1996年4月に第2次評価報告書を発表し、「研究結果を総合すると、地球の気候に人間の影響が見られ、地球温暖化が既に始まっている兆候も見られる。」と結論づけた。この約2,000人の世界中の科学者や専門家が参加してまとめられたIPCCの第2次報告書は、衝撃的な内容をもつものとして受けとめられ、科学的な側面から追加的な対策の必要性を後押しする結果となった。 | AGBMは、1995年8月から合計8回(第8回再開会合を含めると全部で9回)の会合を開催した。その間、IPCCは1996年4月に第2次評価報告書を発表し、「研究結果を総合すると、地球の気候に人間の影響が見られ、地球温暖化が既に始まっている兆候も見られる。」と結論づけた。この約2,000人の世界中の科学者や専門家が参加してまとめられたIPCCの第2次報告書は、衝撃的な内容をもつものとして受けとめられ、科学的な側面から追加的な対策の必要性を後押しする結果となった。 | ||
- | 第2次報告書の3ヶ月後の1996年7月にスイスのジュネーブで開催された第2回締約国会議(COP2)で、各国の閣僚は、「地球温暖化の科学、その影響および現在利用できる対応策について、現在のところ最も包括的で権威ある評価」としてIPCCの第2次評価報告書を支持した。同時に各国閣僚は「議定書は法的拘束力のある数値目標をもつものとする」という閣僚宣言をまとめた。これは、ベルリン・マンデートのプロセスに刻まれた重要な一歩となりました。 | + | 第2次報告書の3ヶ月後の1996年7月にスイスのジュネーブで開催された第2回締約国会議(COP2)で、各国の閣僚は、「地球温暖化の科学、その影響および現在利用できる対応策について、現在のところ最も包括的で権威ある評価」としてIPCCの第2次評価報告書を支持した。同時に各国閣僚は「議定書は法的拘束力のある数値目標をもつものとする」という閣僚宣言をまとめた。これは、ベルリン・マンデートのプロセスに刻まれた重要な一歩となった。 |
また、COP2では議定書を採択するCOP3が日本で開催されることが正式に決まり、世界の目は日本に向けられるようになった。 | また、COP2では議定書を採択するCOP3が日本で開催されることが正式に決まり、世界の目は日本に向けられるようになった。 | ||
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+ | *AGBM・・・ベルリンマンデート・アドホックグループ。マンデートは「指令」「決定」、アドホックは「特別の」の意 味。ベルリンマンデートというCOP1の決定文書に基づいて、特別に設置された検討会議のことであるが、メ ンバーは確定されておらず、NGOなどの参加も認められた。 | ||
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+ | *IPCC・・・気候変動に関する政府間パネル。人為起源による気候変化、影響、適応及び緩和方策に関し、科学的、技術 的、社会経済学的な見地から包括的な評価を行うことを目的として、1988 年に世界気象機関(WMO)と国連 環境計画(UNEP)により設立された組織である。 | ||
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参考文献 | 参考文献 | ||
http://homepage.mac.com/maoam/wenv/env/00b/berline_m_.html | http://homepage.mac.com/maoam/wenv/env/00b/berline_m_.html | ||
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http://www.jccca.org/content/view/803/815/ | http://www.jccca.org/content/view/803/815/ | ||
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2009年7月3日 (金) 14:14の版
ベルリンマンデートとは?
1995年にベルリンで開かれた第1回締約国会議(cop1)におけ る決議。先進国に2000年以降の対策を定める議定書またはその他の 法的文書を1997年に開催される第3回締約国会議(cop3)で採択 することで合意し、京都議定書をつくる根拠となった。また、途上 国については新たな義務を課さないこととされた。
内容
(1)2000年以降の先進国の数量化された温室効果ガスの排出抑制・削減目標及び政策と措置を定めた議定書をCOP3で採択すること。
(2)共通だが差異ある責任の原則に則り発展途上国に対しては新たな約束を課さないものの、条約上の既存の約束を再確認し、その履行を促進すること。
AGBMは、1995年8月から合計8回(第8回再開会合を含めると全部で9回)の会合を開催した。その間、IPCCは1996年4月に第2次評価報告書を発表し、「研究結果を総合すると、地球の気候に人間の影響が見られ、地球温暖化が既に始まっている兆候も見られる。」と結論づけた。この約2,000人の世界中の科学者や専門家が参加してまとめられたIPCCの第2次報告書は、衝撃的な内容をもつものとして受けとめられ、科学的な側面から追加的な対策の必要性を後押しする結果となった。
第2次報告書の3ヶ月後の1996年7月にスイスのジュネーブで開催された第2回締約国会議(COP2)で、各国の閣僚は、「地球温暖化の科学、その影響および現在利用できる対応策について、現在のところ最も包括的で権威ある評価」としてIPCCの第2次評価報告書を支持した。同時に各国閣僚は「議定書は法的拘束力のある数値目標をもつものとする」という閣僚宣言をまとめた。これは、ベルリン・マンデートのプロセスに刻まれた重要な一歩となった。
また、COP2では議定書を採択するCOP3が日本で開催されることが正式に決まり、世界の目は日本に向けられるようになった。
- AGBM・・・ベルリンマンデート・アドホックグループ。マンデートは「指令」「決定」、アドホックは「特別の」の意 味。ベルリンマンデートというCOP1の決定文書に基づいて、特別に設置された検討会議のことであるが、メ ンバーは確定されておらず、NGOなどの参加も認められた。
- IPCC・・・気候変動に関する政府間パネル。人為起源による気候変化、影響、適応及び緩和方策に関し、科学的、技術 的、社会経済学的な見地から包括的な評価を行うことを目的として、1988 年に世界気象機関(WMO)と国連 環境計画(UNEP)により設立された組織である。
参考文献 http://homepage.mac.com/maoam/wenv/env/00b/berline_m_.html http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/ipcc_tar/spm.htm http://www.jccca.org/content/view/803/815/ http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2404