脱亜論
出典: Jinkawiki
(版間での差分)
最新版
ヨーロッパを「文明」、アジアを「未開野蛮」とみて、日本はアジア諸国との連帯は考えずに西欧近代文明を積極的に摂取し、西洋列強と同様の道を選択するべきだとする主張。 「脱亜入欧」も同じ意味である。
西洋列強の圧力下に開国を余儀なくされた日本は明治維新以降、積極的な文明開化政策を採用し、近代化への道を進んだが、欧米文明に対しては賛美、反発の屈折した意識を持つ一方、日本と同じ境遇にあった中国、朝鮮などのアジアに対しては同情、蔑視の複雑な意識を持った。
こうした意識のなかから、欧米列強の侵略に対し、中国、朝鮮と共同して対処すべきだとするアジア連帯論や、列強に追随せずアジア諸国とは友好を維持して日本独自の道を開くべきだとする小国主義論がおこった。
しかし維新以降の文明開化が成功したとする日本は文明国意識が高まるにつれて、アジア諸国の近代化は期待できないと見るアジア蔑視感も強くなっていった。
85年3月16日には福沢諭吉が「時事新報」の社説で脱亜論を発表。
「我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、亜細亜東方の悪友と謝絶する」と論じた。 福沢諭吉が謝絶せんと断じた亜細亜東方の悪友とは中国と朝鮮である。福沢諭吉を激越にもそう主張せしめたのは当時の両国の、自国を取り巻く国際環境に対する手の施しようのないほどのリアリズムの欠如であった。
以来、脱亜意識が国民意識を次第にとらえ、日本人の対アジア認識をリードしていくことになった。
参考文献
福沢諭吉伝説
新 脱亜論