ダッコちゃん人形

出典: Jinkawiki

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ダッコちゃん人形の登場

1960年に「木のぼりウィンキー」というビニール製人形がツクダ屋玩具によって発売された。当初は「木のぼりウィンキー」のほかに「黒ん坊ブラちゃん」といった名前で売り出されており、空気で膨らますビニール人形であった。真っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズをとっている。生産が追いつかないほどの爆発的な売れ行きとなり、1960年末までに240万個が販売された。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通した。


ダッコちゃん 生みの親

ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現・創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。 製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)となる基盤をつくった。


ブームから販売停止へ

製造元のタカラはその後社標をダッコちゃんのデザインに変更し、テレビCMのキャッチフレーズにも「ダッコちゃんマークのタカラ」とダッコちゃんを前面に押し出したPRを行なった。またソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかしまもなくブームが沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。


黒人差別論争

昭和五十年、発売元のタカラが創業二十周年を迎えた記念として、ダッコちゃんを復活させたが、かつてのようなブームにはならなかった。その後、「ちびくろサンボ」の黒人差別論争に巻き込まれ、製造販売を中止した(のちに色違いや、頭のとがった進化形で復活)。1988年ころから、このような黒人差別論争が活発化し漫画やアニメなどのステレオタイプな黒人の描写が差別的であるとしてさまざまな出版社や制作会社が自粛を決定していたのである。タカラの基盤をつくりあげた「ダッコちゃん」の登録商標も、平成二年(1990)四月に使用停止している。


「だっこちゃん」復活

かつてのダッコちゃんは2001年に「だっこちゃん」の名で復活している。その際には腰みのや厚い唇などの人種差別的な要素を取り払い、代わりにしっぽがついた。設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。その後、同様の仕組みを持つカブトムシやドラえもんなどのキャラクターの玩具が製造された。


二〇世紀ひみつ基地 タカラトミー公式サイト


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