強制収容所
出典: Jinkawiki
ナチス=ドイツがポーランドに設けたユダヤ人の強制収容所である。
常に25万人を40キャンプに分けて収容する大規模なものであった。
ユダヤ人を強制的に働かせ、働けなくなったものを毒ガス室に入れ、大量に殺害した。
1945年までの5年間に400万人以上が殺された。
収容所はアウシュビッツのほかに、ビルケナウやトレブリンカ、テレジエンシュタット、ベルゲン・ベルゼン、マウトハウゼン、ザクセンハウゼン、ダッハウ、ブッヘンバルト、ラヴェンスブリュックなど、ドイツの他、占領地やオーストリア国内に無数に作られた。 強制収容所では、考えられるありとあらゆることが行われた。
たとえば、出産できないように若い女性を手術したり、ずっと食事をあたえずどのくらいで死ぬかという実験や、コレラ菌など病原菌を植えつけ死ぬまで観察したり、「劣等民族」と「優秀民族」の体がどう違うのか生きたまま手術をして調べていた。
また所内では、なぐるけるなどの暴力や非人間的強制労働、極端に少ない食事などは、日常的におこなわれ、「人間としての扱い」はまったくなかった。
ドイツ兵は機嫌の悪い日などは、リンチや撃ち殺しなどを「生活の楽しみ」にしていた。
そして一人でも逃げようとしたら、「見せしめ」のためにそのグループ全員が処罰、処刑された。
ドイツ兵の中には、女性の「囚人」に性的暴行をはたらいた者もいた。
親衛隊が彼らを「処分=殺す」のに使ったもっとも一般的方法は、有毒ガス「チクロンB」だった。
狭い部屋に押し込め、閉め切ってからガスを入れ、その後は死体を取り出して、髪を切り取り、金歯を抜き、肌をはぎ取った。
その「作業」は同じ「囚人」にやらせ、また「囚人」の中でドイツ兵に従順な者を「手先」にして収容所を運営していた。
死体から切り取った髪を使いマットや敷物を作り、入れ歯の金は溶かして再利用した。
また死んだ人間の脂肪から石けんを作り、人間はまるで牛や馬のように「処分」された。
収容所では、ユダヤ人だけを殺したようにいわれているが、収容所によっては、ユダヤ人よりも他の人たちの方が多く殺されたところもある。
ロマ(「ジプシー」と呼ばれる流浪の民)や何十もの少数民族、共産主義者、反ナチス活動家、同性愛者、支配した国の国民、特に「政治犯」などを捕らえては、裁判もなく殺していった。
このように「人間を人間とも思わない行為」、「人命人権を軽視・無視した行為」は、現在では完全に否定されるものだが、その時代にはかなり多くのドイツ国民に支持された。
当時のドイツ社会は第一次大戦後の敗戦・大不況に加えて、連合国から当時「天文学的」といわれた1320億マルクという賠償金を要求されていた。 そのため仕事も金もなく、さらにインフレが市民生活をおびやかしていた。
このような中で、「ドイツ民族は最優秀である!」と訴えたのが隣国オーストリア出身のヒトラーだった。
彼は当時の社会のひずみや矛盾を、ユダヤ人などに押しつけ憎ませることによって、人間の心の中にある「差別意識」を助長し、それを使って国をまとめようとした。
HN★Se
参考文献
「歴史基本用語集」 吉野教育図書編集部編
「このたびのたびアウシュビッツ収容所」http://www.asahi-net.or.jp/~vr3k-kkh/auschwitz/explantn/top.htm